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現実世界

日本語でソーシャルメディアを使っていると、様々な物事に対するネガティブな意見を目にすることが多い。思い返せばここ数年、日本では心理的にも経済的にもハードな事態が続いているので、精神的に気が滅入ってしまうのも無理はないと思う。

人はこれまで習得してきた知識や経験から、複雑な事象を単純化して解釈する傾向にある。仮に若いころ自分がイメージしていた将来像と今の現実に大きなギャップが否定的な形で生じているとすれば、社会の新しい変化に対してネガティブな見解を持つようになるのも心境的には理解できる。

しかしながら、今後の社会、あるいは人類にあまり明るい希望を見いだせないと考えている場合、前述したように自分のなかの失望感をそれらに投影しているだけなんじゃないかと疑ってみることも大事なのではないだろうか。 実際のところ、世界はあまりにも複雑なので一個人の人生経験だけで現実の事象を余すところなく語れるはずがないと私は考えている。

そうかといって、物事を単純化せず複雑なリアリティをそのまま受け入れるのは実に難しい。だから「多様性を受け入れよう」とは簡単には言えない。さらにいえば、もし自分が多様な価値観を奨励する立場にいる場合、その多様性は本当の意味で多様なのかを自問することも大切だと思う。私のように地方で生まれ育った日本人と、サンフランシスコやパリで生まれ育った人の考える多様性には意見の食い違いがあって当然だと感じるからだ。今の時代、さすがに西洋的な価値観だけがスタンダードだとは言えないと思う。

もちろん多様性を受け入れようとする姿勢は大切だし、個人的には同性婚にも賛成する立場だ。人生は有限なのだから、生きているうちに幸せになりたいと願うのは自然なことだし、出来るだけマイノリティの人達の権利が尊重される社会であってほしいとも思っている。というより、誰しも状況次第でマジョリティになることもあればマイノリティにもなりえるのが現実だと思う。ゆえに単純化された対立図式は基本的にあまり好きではない。西洋の価値観に影響を受けつつ、それを日本社会に適合するように上手く調整したほうが良い。和洋折衷というやつだ。

あらためて平成以降の日本社会を振り返ってみると、同性婚の問題に限らず日本は様々な意味で旧来の在り方から変われなかったし、正直なところ今よりもっと女性の議員や意思決定者の数が増えるべきだとも思っている。 それでも前向きに物事を捉えるなら、治安は私の少年時代に比べて実感として良くなっているし、ハラスメントに対しても当時よりずっと厳正に対処しているのは確かだと思う。一部の人が指摘するように管理が行き届いた窮屈な社会になったのかもしれないが、それだけ大人の社会になったとも言えるのではないだろうか。

当然のことながらそれはあくまで私独自の視点であって、たとえば外国ルーツの親族がいるご家庭で生まれ育った人は、現代の日本について私とは異なった視点から問題を捉えているかもしれない。地方在住の日本人と東京在住の日本人の間にも、何かしらの認識の相違があるだろう。人の心も環境も多面的だから一言では断定できないし、それゆえ社会について考察するのは面白いのだと思う。