【映画】「ドルチェ 優しく」

ということで、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の、島尾ミホ主演のモノローグ的映像作品「ドルチェ 優しく (Dolce...) 」(1999年)を鑑賞。

YouTubeにて。同監督の日本3部作の最終作らしい。

ココには80代の老いたミホと、言葉を失った長女マヤ(2002年、52歳で死去)しか出て来ない。

奄美大島・加計呂麻島のミホの自宅で、風雨の音、海岸の波打ち際の音をバックに、夫・敏雄のことを涙ながらに想う独白と、言葉を失ったミホへの語りかけで構成される。

生の明るいエネルギーを全く感じない、まさに、暗い狂気が支配している世界。

ボソボソ喋る老婆となったミホの暗い顔と、幽霊の如く扉の隙間から覗くマヤの狂気そのものの顔…。

喪服から白装束に着替えたミホが、階下から「マヤ、マヤ!」と何度も呼びかけると、上からギシギシと板を軋ませながらゆっくりと降りて来たマヤ。50代の彼女は、膝丈の可愛らしいワンピースに白いソックスを履いている。面長の顔も身体もガリガリに痩せて、やはり強い狂気を感じてしまう。

ミホとマヤは抱き合うようにして、ミホがマヤの耳元で何かを囁く。もうゾゾッと身の毛がよだつくらいに恐ろしく近寄り難く感じる。

多分、狂気に陥ってしまい、死と隣り合わせだったミホの半生は、意図せず心をズタボロにされることが大半だったろう。そんなミホが、狂気の要因となった敏雄について、彼への愛憎について口を開く。さらに、またその犠牲になったマヤを登場させて、ミホなりの生きることの苦しさを表現するのだ。

ミホはここで、マヤが10歳の時から言葉を失ったことを「沈黙にマヤはもう慣れてしまった…マヤの試練は生涯の十字架」と語る。

ここまで魂を裸にして生きれば、やはり狂気に安心を見出す他はないのだろうか。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。