「切支丹の里」
クリスチャンである著者の、長崎、島原への紀行文。
「隠れキリシタン」の道程を辿って、著者自身の考察を交えたものだ。
隠れキリシタンとは、江戸時代に幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧した後も、密かに隠れて信仰を続けた信者のことだが、表向きには仏教信仰を見せかけてキリスト教を偽装棄教したり、明治になって禁教令が解かれても、秘教形態を続けて本来の教会に戻らなかったり、“潜伏キリシタン”とも呼ばれて、信仰のスタイルは様々らしい。
十六番館で「踏絵」(信者発見のためのキリストやマリアが描かれた絵など)を目にしてから、穴吊りの刑などの過酷な拷問で棄教し、日本人としてキリシタン弾圧に協力したというポルトガルの宣教師フェレイラの苦悩する姿を求めて各地を巡り、死の恐怖と肉体の弱さに負けた“弱虫”としての彼の心情に寄り添う、キリスト教作家ならではの視点がなかなか興味深いものがあった。
「弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。彼等がそれまで自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。後悔と恥とで身を震わせなかったとどうして言えよう。彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである。キリシタン処刑の見物人の中に、私は私を発見する」
西洋のキリスト教が、罪を裁く父性であるのに対し、日本のそれは、日本独自の風土と歴史に揉まれて、罪をも優しく赦す母性と変貌していく様を考察している。
殉教を至上とするマゾヒスティックな性格や、弾圧の末に生まれた“隠れ”というスタイルが、本来の教会や教義を大きく外れて、独自の排他的な民族的宗教へと変化していくのは、まさに日本文化の一断面であって、実に興味をそそるね。
長崎、島原はガキの頃、行ったきりだし、そんなに遠くもないので、ぜひ俺も隠れキリシタンの跡を辿って巡りたいものだ。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。