「認知症をつくっているのは誰なのか」

なんだかんだ言って、認知症関連の本は数十冊も読んじまった。

この新書で、認知症について、なんとなく思ってたことが明らかになった。つまり、認知症は決して病気ではないということだ。

もちろん脳疾患による病気の認知症はあるのだが、年相応のボケ、モウロク、もの忘れまで、認知症という括りの医療の対象の病気にされ、薬を処方されている。

昔は、痴呆と言われて、老人特有のボケで済まされてたことが、認知症という名前の病気だから、それではいけないと進行を遅らせるための薬を飲まされる。

だから、近年は厚生労働省による認知症の推計値が年々著しく増加してるわけだ。国が定めた介護保険サービスを受けるために認知症という診断が必要になったのだ。

いったい“老い”とは何か、がわからなくなってて、あたかも“老い”が悪いことのような風潮になっている。

案の定、真の国賊犯罪者アベが“認知症狩り”(認知症施策推進総合計画)のような政策を推進したこともある。たいてい政府・官僚はろくな事をしないものだけど。

「うつ病」の薬ができて「うつ病」が飛躍的に増えたのと同じで、病気としての認知症ができて薬を処方されてから認知症が増大したのだ。

医学会と製薬会社、介護を知らない介護職に携わる人達が、老い=認知症=病気というパターンを作ってしまってると思う。

では、本当の介護とは何か?本によると、なるべく今までの生活習慣を続けさせ、そのために介護者は特別の工夫をして、基本、老人が嫌がることはしない、老人の自己決定権を認める…つまり老いを認めた上で治療というよりも不完全な部分は人との関係で補うってことだけど、けっこうそれが難しい。

入院したり、施設に入ったりすると、急激に認知症というかボケは進んでしまうし、予防にオムツを履かせると、すぐにオムツなしでは生活できなくなってしまう。

やっぱり、現状よりも良くしよう、治そうと考えるのではなく、特別な介護のテクニックも必要もなしに、自然の老いのままに看取るまで“側で寄り添う”ことだろうね。

噴飯ものの自立支援なんかよりも「生活を継続する支援」が重要なのだ。

ウチのバアさんに関しては、認知症前提でいろいろと対処してるから、本来なら間違った介護の仕方だろう。基本、俺がこれ以上苦労しないためにと、あくまで介護者の俺が主体となってるから。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。