「読破できない難解な本がわかる本」

安かったので、また安易な本に手を出した。

名著はイイとして、思想だったら、我々の生活に身近で役に立つこともあるんじゃないかと思うけど、哲学は、おおよそ古典的なもので、どこか崇高な表現作品みたいで、普段の日常とは大きくかけ離れたものじゃないかと思う。役に立つなんて次元じゃなしに。

それに哲学は、何も高名な哲学者が難解な文章を使って表すことよりも、哲学なんておよそ縁のない近所のおばちゃんが、自分の経験則から何気にしゃべった一言に、深〜い哲学があって、ジワジワと考えさせられることもあるしね。また、そちらの方が深く納得したりするものだ。

人類は脳を発達させた時点から宗教と共に“考えること”がスタートして、時代それぞれに時代に合った思索があって、徐々に環境が複雑化すると共に、その思索も複雑化するものだ。

まあ、しかし、わかる、わからないは別にして、数々の“知”に触れることの楽しさったらないね。今の俺には。その“知”の裏に隠された著者の人間性が、少しでも垣間見えたら、もっとイイね。

人間そのものから心と言葉、環境、社会、政治、そして宗教と、ありとあらゆる分析を試みて来たが、人間が存在する限り、それは続くだろうな。

考えてみりゃ、全てが言葉と文によって表されているわけで、感覚や感情が先に立って、言葉と文は極端に簡素・単純化してるのは、人間そのものが衰えてる証拠じゃないだろうか?

語れないことをムリに語ってもしょうがないけど、ウィトゲンシュタインがいうように、言語の限界が、世界の限界ではないのか?

読んで、何が書いてあるのか全くわからない本と評判の、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリの「アンチ・オイディプス」を読みたくなった。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。