「一気にたどる日本思想」

前の鷲田小彌太先生の著書でわかったが、やはり日本には、西洋でいうところの哲学はないと思う。

ただし、自然や生活に密着した独自の思想はあるかもしれない。本来なら、思想で徹底的に考えて、哲学でその実践を模索するのだが。

そもそも8世紀くらいまで、日本という名もなく、倭国という名も大陸からそう呼ばれていただけ。

古事記・日本書紀に書かれた「天地初発之時」は、自然と天と地が生まれたのであり、神話からして受動的なのだ。

時代が進むと、思想として仏教が大きな影響を持つが、仏教のいう無常感を、人の死等を体験することによって、心で感じ取って詠む。

無常文学の先駆けは、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の西行である。

そして、日本人の独自の美意識、趣を感じる心である「わび」「さび」「いき」がいわれるようになるのだ。

日本にあるのは、全て外来の思想であり、日本人固有のものはない。仏教も外からもたらされたものである。そこで、江戸時代になると、本居宣長らの国学が起こって来るが、結局、日本人の思想の原点を、「古事記」他古典に求めるしかなかったのである。

しかし、近代となってからの、例えば、夏目漱石の晩年の境地である「則天去私」は興味深い。漱石は、自己の内面的な欲求に素直に従う自己本位の文明開化を是とする。ただし、自分だけではなく、他者も自己本位であることを前提とするのであって、そうした他者への配慮に倫理的な人間関係のあり方を模索した。そして、自己本位をベースとして個人主義を唱えるに至る。
次に、小さな自我にこだわることなく、自然の流れに身を委ねて運命を静かに受け入れるという「天に則り、私を去る」という境地に達するのである。

同じく文豪の森鴎外は、自我に目覚めた人間にとっては、社会というものは理不尽であることから、その理不尽さを受け入れて、あたかも「〜であるかのように」振る舞うことを説いた。諦めに近いが、例えば、当時、天皇が人間であることは誰でも知ってるが、知っていても、それを口に出すことなく、あたかも現人神である“かのように”振る舞って、受け流せば良いというわけである。
鴎外は、“かのように”の思想によって、現実にはあり得ないものを、あたかもそうである“かのように”見なすことで、社会は成り立っていることを説いたのだ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。