「新しい小説のために」

HEADZの佐々木敦氏が、こんな本を書いてるなんて知らなかった。

チャットGPTが小説を書く時代だけど、小説の私、私小説という時の私を、往年の文学者・評論家の作品を挙げながら説いていく内容で、根気がない俺には、メッチャ長いし、ちょっと読みづらくて難しかったなぁ。

私が見て体験したことを材料に、私がなるべくそのまんまに書くのが私小説だと思うけど、そこに、後付けで、作者の思考や感情など個人的なことが入ってくると、それは創作の部類に入ってくるかもしれない。

例えば、日記は基本、その日に起こった出来事を書くのだけど、何も起こらなかった日に、何もなかったと書くのではなく、前日との違いや変わらない時間の流れ、変化と不変がごっちゃになった日々を記録するのが読まれる日記というべきで、それを言葉によって紡ぎ出すことができるのが作家だと思う。作品となる私小説もそういうことだろうと考える。

この本にも出てくる小林秀雄は、西洋の「私」と日本の「私」の違いは、社会化されているか、いないかであり、日本は社会化されていない。だから日本では私小説は死んだという。しかし、小説の根幹には、作家の告白がベースにあるともいえるし、昭和には、小説を創作することで自分の生活や周りを壊す作家も多かった。俺もそういう作家が好きだし。

作家とは、頭を捻って架空の物語を創ることが基本だけど、どうしても作家自身の精神にも影響を及ぼしてしまう。全くの創造だけの産物であれば大衆小説や娯楽小説となる。であれば、作家自身の内面の告白・吐露、つまりは私小説でも充分に成り立つと思うがね。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。