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幸せ

「何か"いいこと"ないかな。」


私はいつも、そう思っていた。


しかし、今日も同じような毎日の延長でしかなかった。私の目の前には、真新しいものなんて何もなくて、いつもの日常が広がっている。


私は今日も、いつもと同じように朝6時に起きて、掃除洗濯をこなした後、家族を起こしてご飯を作り、皆を見送ったら後片付けをして、そこからパートに出て夕方まで働き、帰りにはスーパーに寄って、家に帰るとすぐに晩御飯の準備にかかる。


食事が終われば、その後片付けをして、洗濯物を取り込む。ここまですれば、やっと少し落ち着く。


そう思ったのもつかの間、夫が帰宅すれば、夫の食事を準備し、子ども達たち二人をお風呂にいれる。そして、夫の相手をしつつ、子ども達の寝支度を整え、子ども達が寝た後は夫の晩酌に付き合う。


夫が風呂に入り、床についたところで、またひと息。明日のお弁当の準備をしたら、お風呂に入り、やっと寝る時間だ。全てが終わるのが大体深夜1〜2時頃。これが私の日常。ゆっくりする時間なんてほとんどない。もちろん、自分の時間なんて、ある訳もない。


でも、私には守るものがある。家族がいる。そのために、私は耐えなければならない。少なくとも、子ども達が立派になるまで、私は頑張り続けなければいけない。子ども達には絶対に苦労はさせたくない。自分達が選んだ道を歩ませてやりたい。だから私は辛くはない。自分で決めたことなら、私はやりきる、と決めていた。


「何もない…か。今が幸せなんだから、それ以上のことなんかないよね。」


次の土曜日、夫は仕事で、子ども達はみんな友達の家に遊びに行った。私は、というと、パートが休みで、今日はゆっくり出来る。


といっても、子どもが出来てからというもの、友達とは疎遠になり、夫の仕事の都合で地元から離れてしまったため、休みの日に会う人もいない。


今、私の人生は、家族のためにあると言っていい。そのために、私は全てを捨ててきたのだ。これも、家族の幸せの為だ。子どもには幸い、友達もたくさんいるし、夫の仕事も上手くいっている。


今の幸せを守るためなら、私はいくらでも我慢する。私が休みの日、何をするかと聞かれると、何もしない。いや、何もしたくないのだ。


休みの日には、日々の疲れが一気に押し寄せ、やらなければいけない事が終わると、私は気絶したように寝て、そのまま一日が終わる。


でも、それでいいんだ。だって、疲れているんだから。寝ないと、明日からの日常を乗り切ることができない。


私は"日常を守るため"に、生きているんだ。


くだらない人生だと言われようが、私には、これでいいんだ。これが私の幸せなんだ。

───

ある日、私は身体の不調を感じた。


が、私には病気にすらかかっている暇はない。早く治さなければ。私はパートが終わるとすぐに、いきつけの婦人科の病院に行った。


「すいません、少し体調がすぐれなくて。」
「そうですか、どれどれ。」


次の瞬間、医師の口から出た言葉に私は耳を疑った。


「出来てますね。」
「え、何がですか?」
「子供、ですよ。」
「子供…。」


ってえええええぇぇぇぇ!
また出来ちゃったの…。えーと、これで何人目だっけ。三人…目が出来ちゃったみたいだ。私は嬉しいやら、どうすればいいやらで、感情の置き場に困った。


「おめでとうございます。」
「はぁ。」
「今、妊娠四ヶ月ほどです。あまり、無理はしないように。」


無理するな、と言われても。無理しない事なんて私には出来ない。私は、日常を守らないといけないんだ。だから、そんな事、無理だ。


帰ってから、私はいつも通り、子供達を寝かしつけた後、夫に今日あった事を話した。


「ちょっと、話があるんだけど。」
「何?今日じゃないとダメな話?」
「うん、今日じゃないと、ダメかな。」
「そっか。で、何?」
「出来ちゃったみたい。」
「ん?何が?まさか…。」
「そう、三人目、出来ちゃった。」
「…そっか。」
「…それだけ?」
「無理、するなよ。」
「それ、お医者さんにも言われた。」
「大切な身体だからな。」
「うん。」
「…とりあえず今日は寝るわ。ちょっと疲れてて。」
「そっか…。おやすみなさい。」
「おやすみ。」


夫はどこか、他人事みたいだった。でも、仕方ないか。疲れてるんだし。また今度、ゆっくり出来る時に話そう。私はそう思って、今日は寝る事にした。

───

それからも、私は妊婦にも関わらず、いつもと同じ日常を繰り返していた。


気付けば、お腹もどんどん大きくなり、仕事に支障が出るまでになった。パート先でも、お腹が大きくなるにつれ、私は少し、邪魔もの扱いされるようになっていた。


「あの子、まだいるの?」
「お腹の子が可哀想。」


いつしか、そんな声を聞くようになった。


世間は残酷だ。でも、私には家族がいる。そう簡単に辞めるわけにはいかない。私はギリギリまで、いや、仕事は辞めないつもりでいた。子供達の将来を考えると、少しも休んでいる余裕など、なかった。


今で二人、次の子が産まれると三人の子供を養う必要がある。そのためにはお金がたくさん、本当にたくさん必要だった。学費、塾代、それに子ども達にはたくさん食べて、大きくなってもらいたい。


その為にも、私は何を言われても、仕事を辞めるつもりはなかった。しかし、皆が皆、そんな人ばかりではない。中には理解のある人もいた。


「大変だったら言ってね。私ならいつでも、手伝うよ。」


その優しさが、私にはありがたかった。


世の中は捨てたもんじゃない。敵がいれば、必ず味方になってくれる人もいる。


その人とは、特別、仲がよかったわけでもない。しかし、聞くと、昔、同じような苦労をしていたらしかった。苦労は、誰もしたくない。


私だって、苦労したくて、子どもを作った訳じゃない。幸せになりたくて、子どもを作ったんだ。


なのに神様は、私に試練を与えた。


私は若くして子どもを産んでいるため、同世代の友達が遊んでいるのを横目に、自分のしたい事を我慢し、子どものため、家族のため、と自分を殺して生きてきた。


友達に誘われても私はいつも断るため、いつしか誘いが来ることもなくなった。


そして、地元を離れると、私は完全に孤立した。私は家族の存在なくして、私、ではいられなくなった。それからというもの、私は、


「何か"いいこと"ないかな。」


と常に思うようになった。


少しでも、この日常が良くならないだろうか。私は、口では満足している、と言っていたが、本当は満足なんか、全然していなかった。


私は、強く無い。


本当の私はとても弱い。毎日、辛いし、苦しいし、泣きたくもなる。たまに我慢できず、家族が寝た後に泣いてしまう事がある。


でも、家族にそんな姿はみせられない。家族の前では、私は強い母親でいなければならないのだ。


もちろん、"いいこと"など無い。この前あった、"いいこと"は何だっただろうか。全く思い出せない。記憶に無いほど、遠い昔の事なのだろう。


私にあるのは、いつもの変わらない日常だけだった。


「やっぱり、無いよね…。」

───

私は、病院に来ていた。


今日は一ヶ月に一度の定期検診の日だ。


あれから、五ヶ月が経った。結局、夫とはあの後、改めて話をする事はなかった。夫があまり、その事について話したがらないため、私は夫の機嫌を損ねないよう、言いだす事が出来なかったのだ。


「もうすぐ産まれますよ。女の子です。」


最近の医療技術の発達は本当に凄い。前の子が産まれた時は、産まれる前に性別なんて分からなかったのに。私は少し関心した。


「女の子ですか。」
「はい。名前を考えておいてあげて下さいね。」


また、女の子…。今の子は二人とも女の子なので、これで三人目の女の子。うちの家庭は女系の血統らしい。


「名前、か。」


私は帰って、夫に話す事にした。名前なんて、大切な事、ひとりでは決められないし、他にも話したい事があった。


「あの…。」
「子どもの話だろ。」
「うん。」


夫に病院に行く事は話していたので、今日は夫から話を切り出してきた。


「もうすぐなの?」
「うん。女の子だって。」
「もう分かるんだ?」
「うん。名前考えといて、だってさ。」
「名前、か。」


今回は、夫も真剣に話を聞いてくれた。


この前は本当に疲れていたのだろう。その事が分かって私は少し、安心した。


「何か、考えた?」
「えーと、まだ。今日聞いたとこだし。」
「そっか。まだ産まれるまで時間あるし、子ども達にも考えてもらおうか。」
「そうだね。」


私は嬉しかった。夫ってこんなに優しかったっけ。今日の夫はいつもより優しく感じた。


「そうそう。言ってなかったけどさ、仕事が少し片付いたから、明日から早く帰って、家事手伝うよ。」
「え、いいよ。疲れてるでしょ?」
「ダメ。お前にこれ以上、無理はさせられないよ。いいから、いいから。」
「え、あ、うん。」


私は少し戸惑った。夫は、私の身体の事を真剣に考えてくれていたのだ。


その為に、私を休ませる為に、夜遅くまで頑張ってを仕事してくれていたんだ。言ったら泣きそうだったから、言えなかったけど、私は心の中で、夫に深く感謝をした。


(ありがとう…。)

───

そして、その時は遂に訪れた。


私はパート中、激しい陣痛に襲われたのだ。


「なんで、よりによって、こんな時に…。」


パート先で私は邪魔ものなのに、誰も助けてくれるわけ…


「あんた!大丈夫!」
(あれ?)


いつも私の文句を言っていたオバちゃんが、真っ先に私の異常に気付き、救急車を呼んでくれた。


そして、そのオバちゃんと一緒になって私の文句を言っていたオバちゃんも、救急車がくるまで私をずっと介抱してくれた。


みんな仕事そっちのけで、私の事を心配してくれていた。パート中に陣痛がきて、本当に良かった。私は、心の底からそう思った。


もし、家にいる時に陣痛がきていたら、命に関わっていたかも知れない。しかし、オバちゃん達の見事な連携によって、私はすぐさま病院に運ばれ、何事もなく、出産を迎える事ができた。


みんな本当は優しいんだ…。


私は人を表面的に見て判断していた。敵を作っていたのは私かも知れない。私は勝手に孤独だと思っていた。私は自己中の中の自己中だった。


私はバカだ。私は、曇った目で世界を見ていた。本当は、世界は、人は、優しいんだ。私は、それにやっと気付く事が出来た。


私を気遣ってくれていたオバちゃんは今日、休みだったが、別のオバちゃんからの知らせを受けて、病院に駆けつけてくれていた。


そして、家族、親戚一同。私が病院に着く頃には、皆が私を待ち構えていた。オバちゃんパワー恐るべし。どうやって連絡とったんだよ…。


それはさておき。そのお陰で、私はひとりじゃなかった。これ以上無いほどの安心感の中で、私は無事に女の子を出産する事が出来た。


「可愛い、女の子ですよ。」

───

「和華、産まれてきてくれてありがとう。」


和華。それがこの子の名前。


この名前は、夫、子どもたち、そして私。みんなで、一生懸命考えてつけた。


私は、この子のお陰でたくさんの大切な事に改めて気付いた。それを家族に話すと、夫が、


「この子はきっと、ママの事が心配だったんだよ。」


と言った。そうかも知れない。この子は私の事を見かねて、大切な事に気付かせるために、私を選んで、産まれてきてくれたのかも知れない。


この子は、とても優しい子なのだろう。


この子のお陰で、私の心は平穏を取り戻した。私自身も優しくなる事が出来た。それはまるで、枯れ果てた大地に、希望、という名の美しい華が咲いたようだった。


「華、っていう名前はどう?素敵だと思うんだけど。」
「華、か凄くいいね。その名前が素敵だから、必要ないかもしれないけど、君の話を聞いて思いついた字があるんだ。言ってもいいかな?」
「もちろん。どんな字なの?」
「和、だよ。この字には、優しさ、和やかさ、美しさ、そして、つなぐ、という意味があって。だから、君と世界をつないでくれた、優しいこの子にぴったりだと思ったんだ。そして、産まれてからは、和やかな心を持ち、美しく、生きていって欲しい。ちょっと心配症になるかもしれないけど。」
「和。凄くいい字だね。そんな意味があったんだ。確かにこの子にぴったりかも知れない。」
「へー!だったら、くっつけちゃえばいいんだよ!」
「え?あ、そうだね!くっつけちゃえばいいんだ!」


華和(はなわ)


、、、違う。どっかのピン芸人みたいだ。
これはないな笑


和華(わか)、、、凄くいい響き。


優しく、美しく、和やかに、人と人をつなぎ、みんなの心に華を咲かせられるような、そんな名前。とても素敵な名前。この子に本当にぴったりだ。


「和華、あなたの名前は和華。気に入ってくれるかな。」

───

この子は本当に幸せだ。


たくさんの優しさに囲まれて、彼女は産まれてきた。


何より、彼女の姿を見ていると、私は幸せな気分になった。今、世界で一番幸せなのは、恐らく私、だろう。


そう言うと、みんなが笑った。私も笑った。そこには笑顔が、幸せが、溢れていた。


私はいつも、


「何か"いいこと"ないかな。」


そう思っていた。


けれど、"いいこと"は日常の中にあった。


私は日常をただの繰り返しだと思っていた。しかし、日常はただの繰り返しじゃない。


日常、というのは、幸せ、の中にしか存在しないのだ。私は気づいていなかった。私は、幸せに囲まれていた。私の日常は、愛に包まれていた。


夫、子ども、パート先のオバちゃん、親戚のみんな、そして、この子。皆が私にとってかけがえのないものであり、私の、宝物、だった。その人達が与えてくれる日常は、"いいこと"で溢れていたのだ。


だから私は今、


「今日は、どんな"いいこと"、が待っているだろう。」


毎日、そう思って、生きている。


たくさんの、宝物、が与えてくれる日常を、これからも私は大切にしていくだろう。


そして、今、私はとても、


幸せだ。


-完-

───
あとがき
───

このお話は実話を元にしたフィクションです。


僕の親戚に家族が増えた記念に、
このお話を書きました。

作中には、僕が日々感じている事を
たくさん盛り込んでいます。


このお話を通じて、
何かに気づいて頂ければ幸いです。


最後までご覧いただき、
ありがとうございました!

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