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文化人類学の世界


外出自粛になってから読書量がかなり増えました。
仕事に生かす目的でビジネス本を読むことが圧倒的に多いのですが、いつもよりも時間のある今は、大学時代から興味のある社会学部で学んでいたような分野の本を読んだりしています。
こんなの↓

どれも面白かったのですが、今回特に紹介しないのは文化人類学の思考法という本です。

「あたりまえを疑う」
その生活のその文化の、その背景には一体何があるのかを考察することで、いまの自分の生活や価値観を改めて考えるきっかけになります。
過去や全然別の暮らしをしている部族の暮らしからいまの自分の暮らしや思考を捉え直すことができるところが文化人類学の魅力だと思っています。

さて、文化人類学のテーマのなかでも面白いと思っている妖術や呪術、精霊憑依の現象。この本でも取り上げられております。

「異文化理解」「他者理解」を言語や生活習慣、価値観の違いといった想定の範囲内の中の差異や他者性性ではなく、論理で説明することが難しい「本当にありうるのかどうか?」が疑われるのが妖術や呪術のテーマこれをどのように「理解する」ことができるのか?ということが書かれています。

この本で引用されていた南スーダンの研究者ゴドフリー・リーハント氏の人類学研究に関する引用があって、すごくハッとしました。

私たちが未開人とともに暮らし、彼らの言語を話し、彼らの経験を彼らの仕方で自分自身に表現することを学ぶとき、私たちは自分自身であることをやめることなく、できる限り彼らに近い考え方を社会のそれとのあいだに仲介するのです。そうしているとき、私たちが研究しているのは結局、何か神秘的な「未開の哲学」なのではなく、私たち自身の思考と言語のさらなる潜在力です

数年前に暮らしていたカメルーン。
実はカメルーンにも呪術や精霊がリアリティを持ってそれらとともに暮らしているという感覚があり、テレビドラマでも呪術や精霊が出てくるものばかりで(同じ番組なのか違う番組なのか分からないけれど、だいたいアフリカ系のドラマだと呪術系の話担っていた気が…?)。ホームステイ先でいろんな場所に姿を変えて精霊が潜んでいる(トマトスープの中にも)という話を冗談ではなくガチでしていて怖くなり、その日悪夢を見た記憶があります。日本にもいるのか?と聞かれて確かに日本にもカッパとか妖怪とか信じられているような、いないようなな感じで彼らのような感覚ではないなと思って曖昧に答えたのですが、彼らと暮らしているともしかしたら本当は妖術や呪術が存在するかもしれないという気持ちになってくるのです。

この「かもしれない」という呪術などの領域を体感することによって「異文化理解」や「他者理解」を深めることができたのではないかなと思います。


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