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「すずめの戸締まり」九星気学の言葉を極力使わない、九星気学的解釈

昨年11月から公開されている「すずめの戸締まり」、ちょっと今更かな、と思いつつ、感想を書いてみました。

映画は女子高生すずめの夢、過去の記憶から始まります。そして、通学途中にすずめと草太が出会うことで物語が動き出します。草太が探しているのは廃墟の扉。その扉を、すずめが先に見つけて封印を解いてしまったことから二人は一緒に「扉を締める旅」をすることになるのです。この「旅」、実際の人生でも似たようなことが起きることがあります。人生が「何かに導かれるよう」に、自分の意志に関わりなく変化に向かう。シンクロニシティという言葉がありますが、すずめの人生にシンクロニシティが起こったのだな、と感じました。

扉から出てくるのは「ミミズ」。ミミズは日本列島の下をうごめく巨大な力。目的も意志もなく扉から噴き出し、現実の世界に地震を引き起こします。ミミズが出てくる扉は「後ろ戸」と呼ばれ、後ろ戸を締めることで地震を防ぐことができますが、後ろ戸を閉めても封印しなければまたどこかから出てきてしまうという厄介なもの。ミミズを封印していたのが「要石」で、その要石がダイジンという白い子猫に変化して草太を椅子の中に閉じ込めてしまいます。

物語の後半、草太とすずめが草太の部屋で「閉じ師」の古い本を見るのですが、「要石は西と東の二本があり、それは時代ごとにその場所を変える。」と話しています。そして、「大きな災害や疫病は後ろ戸を通って常世から現世にもたらされる。その時のために要石がある。」とも話します。すずめが要石を抜いたことで要石がダイジンという猫になり、二人は翻弄されますが、それはたまたますずめが要石を抜いてしまったのではなく、「その場所を変える時が来た」、「大きな災害や疫病が後ろ戸を通って常世から現世にもたらされる時が来た」から、すずめにそれを抜く役目が与えられたのだと感じました。

ダイジンを追って東京まで来た草太とすずめ。東京の後ろ戸は、草太の住むアパートのすぐ近く、御茶ノ水駅の脇を流れる神田川の土手のトンネルの中にありました。
そこから出る巨大なミミズに、すずめが「要石となった草太」を突き刺し地震を防ぎます。草太に恋するすずめの慟哭には、胸を締め付けられるような想いがしました。しかし、それと同時に悲しみと怒りが湧いてきたのです。草太のおじいさんが「草太はこれから神を宿した要石になっていく。それは人の身には誉れなのだ。」と言いますが、もしかしたら、ダイジンも何百年前かには人だったかもしれない。草太のように。それでもミミズを抑えるために自分の役割を受け入れてきた。「自分も楽しい思いをしてみたい」とダイジンが思ったとして、誰がそれを責められるでしょう。「私たちの生活は、いつも誰かの支えの上に成り立っている」そう思いました。見えないところで、私達の生活を支えてくれている人達がいる。人だけではありません。私達の命を繋ぐため、食べられるためだけに生まれてくる動物たちがいる。その動物たちだって本当は本来の命を全うしたいはずなのに。ミミズと要石との関係は映画の中の話だけど、もしかしたら「神」と呼ばれる存在も、要石になりつつある草太と同じように「生きたい!」という願いを抑え込んで私達の生活を守ってくれているのかもしれない。芹沢が草太のことを「あいつは自分の扱いが雑なんだよ。」と言いますが、私たちはもっと、自分たちを支えてくれている命の分まで自分の命を大切に生きる必要があるのではないでしょうか。

ミミズが何を表すのか、というのはいろいろな解釈ができると思いますが、草太の「常世はミミズの棲家。すべての時間が同時にある場所。」という言葉からイメージしたのは「潜在意識」。そして、「後ろ戸」というのだから「後ろ向きの想い」、例えば過去の抑圧された記憶や辛くて忘れ去りたいような記憶など、今の自分には認識できない負の記憶、不満や不安、嫉妬、後悔といった負の感情を表現しているのでは、と感じました。そういった負の記憶、負の感情がミミズを作り出すのではないか。もしそうなら、現実のこの世でも、個人個人がマイナスの想いを作り出さないようにすること、過去のマイナスの想いをプラスに認識し直すことが地震や疫病を防ぐ最大の鍵になるのではないでしょうか。すずめが自分の後ろ戸を探しに行く途中、道の駅で休憩を取ります。その時現れるのが「サダイジン」。環がすずめに「私の人生を返して!」と叫ぶのですが、それはサダイジンが言わせた言葉。ミミズを作り出させないために、心の奥に溜め込んだ想いを開放する必要があるのだなと感じました。

12年ぶりに帰ったすずめの生家。もちろん跡形もなくなっているけれど、ダイジンが後ろ戸まで案内してくれます。これまでずっとダイジンが後ろ戸まで導いてくれていたことに気付いたすずめが「ありがとう」と言うと、痩せこけていたダイジンがふっくらイキイキとした姿に戻ります。神も感謝されたら嬉しいのですね。

いよいよすずめたちが後ろ戸の中へ入ります。そこは東日本大震災が起きた直後の燃え盛る町。ミミズがのたうち回るその中央に、要石となった草太の椅子が突き刺さっています。すずめは自分が草太のかわりに要石になる覚悟でしたが、ダイジンの助けを借りて草太を助け出し、元の要石に戻ったダイジンとサダイジンをミミズに突き刺してミミズを封じ込めます。ダイジンの心を想うと切ない気持ちになりました。そして、そこで出会うのが4歳の頃のすずめです。戻ってこないお母さんを探して常世に迷い込んでいます。16歳のすずめは、4歳のすずめに出会ったことでその時のままの感情を今もずっと持ち続けていることに気付きます。映画の最初のすずめの夢は、それを表していたのでしょう。しかし、12年の間には楽しいこと、嬉しいことがあり、一緒に生きていく人もいてくれる。4歳の時の感情を抱えたままでは、すずめの後ろ戸を締めることはできないのだと思いました。後ろ戸は人によってその姿を変える。すずめはすずめの後ろ戸に、12年前の過去の記憶に、ケリをつけたのだなと思いました。

扉の中の過去の世界に向かい、過去に決着をつける話、どこかで観たような・・・と考えてみたところ、「ハウルの動く城」を思い出しました。最後、ソフィーが扉の中に飛び込んでハウルの過去に出会いますが、それと似ています。「ハウルの動く城」の公開は2004年11月、「すずめの戸締まり」は2022年11月、どちらも五黄中宮の一年が終わる間際の公開です。過去に決着をつけるからこそ、新しい自分、整った自分に移行できるというメッセージだと感じました。

最後に「猫」について。「すずめの戸締まり」では、ダイジン、サダイジンという猫たちは神の化身でした。まったくの個人的なイメージですが、犬と猫を比較すると、犬は人の命令に従うというイメージが強く、人の方が犬の上という感じ。猫は、猫を飼ったことがある人ならわかっていただけると思いますが、断然猫のほうが立場が上です。人はいつも猫のご機嫌をうかがって、お猫様に合わせています。猫は本当に「神」なのかもしれません。人間があらゆる生物の頂点に立っているという考えは傲慢であり、それを教えてくれているのが「猫」なのかも、と感じました。

細かい感想は書ききれませんでしたが、長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。私は流行る映画は潜在意識からのメッセージだと思っています。自分自身がミミズを作り出さないように、自分たちを支えてくれている命の分まで自分の命を大切に生きるように、肝に銘じて生きていきたいと思います。


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