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「言語化」した方が良い「何か」を考えてみる

秋が深まってくるのを感じて、紅葉見ながら温泉入りたいなぁという気分になっている細貝です。

先日、「言語化が削ぎ落している大切なこと」というテーマで記事を書いた。


この記事を書いてから、「言語化」というテーマに意識が向いていたからか、「言語化した方が良いなと感じる瞬間」に出くわすことが多かったので、前回の内容を踏まえて、「言語化の使いどき」を今回は考えてみようと思う。

言い方を考えた方が良いこと、伝える順番が大切なこと、明確に言った方が良いこと、その一方で言葉に出さない方が良いこと等々...
考えれば考えるほど、「言語化」には考慮しなければならないことが沢山あるように感じられる。

しかし、これらはただの枝葉のようなものにも感じるので、木の幹には何があるのかをあれこれを考えていきたいと思う。

日常のやり取りから「言語化」を考えてみる

色々な会議や打ち合わせに参加していると、「この事業のコンセプトは■■だ」「〇〇をしたら良いと思います」と、唐突なアイディアや意見を言い出す人がそこそこいる。

それはそれで良いのだが、その後に詳細説明がされなかったり、背景や意図を汲み取ろうと質問してみると、説明がちぐはぐ(なように感じる)だったりで、モヤモヤを感じたまま、別の話題に移ってしまうことが度々ある。

このモヤモヤを突き詰めて考えていくと、「今までの会議や打ち合わせでの積み重ねからは(聞く側にとっては)出てこなさそうな話しであり、なぜこのタイミングでその意見を言っているのかが分からないから」だという点に行きつく。

おそらく、会議と会議の間、打ち合わせと打ち合わせの間に、その人自身が見聞きしたり体験したことから得たインスピレーションをもとに言っている意見やアイディアなのだろう。

ここまで書いてみて、自分の言ったことに対して、相手がキョトンとした顔していた場面がちらほらあったことを思い出した。僕自身も自分の意見やアイディアについての理由や前提情報を十分に言えていなかったように思う。




ゲーム・アニメ等のキャラクターから「言語化」を考えてみる

さて、切り口を変えてみて、最近観ていて面白かったアニメの登場人物で今回のテーマに合いそうなキャラクターと考察記事がちょうどあったので、関連しそうな部分を引用しながら、考えてみようと思う。

参考にするのは、ゲーム原作で、今も多くの派生作品が制作されている fate/stay nightの登場キャラクター・アーチャーだ。

※ここからは、作中の重要なネタバレをまじえていくので、fate/stay night未見でネタバレNGの方は、この章はスキップしてください。

本作品についての参考記事は、ストーリーやキャラクターなどの様々な面から非常に数多くあるが、その中でも特に参考になりそうなブログから引用していく。

生前は少年時代に第四次聖杯戦争による大火で全てを失い、他人であった切嗣に自分だけが命を救われた経緯から、周りに泣いている人や傷ついている人がいると我慢ができず、目に見える全ての人を助けようとしていた。
彼にとっての報酬は救った者からもらえるものではなく、誰かを助けられたという結果こそが見返りだった。
しかし、誰にも自分の胸の裡は明かさなかったために彼の人助けの目的を知る者はおらず、「冷徹で口数が少なかった」ので誤解されやすかったためか、理解者は少なかったようである。
アーチャーは「それが苦痛だと思う事も、破綻していると気づく間もなく、ただ走り続けた」とあり、恋人や仲間を失って裏切られても最期まで疑問を抱くことなく、できるだけ多くの人を救おうと奔走した。
「一人でも目に映る人々を救えたのなら、悔いる事など何もないと満足げに笑って」死んだアーチャー。
彼の「異常」とも言える強さと使命感、「この身は誰かの為にならなければならない」というサバイバーズギルト的な強迫観念が彼をここまで駆り立てましたが、後に自分でも「もとより、何を救うべきかも定まらなかった」と後悔しています。
アーチャーの精神力が強すぎた故に、報われなくても裏切られても途中で挫けて諦めることも、行動方針を変えようとするきっかけや、自分の理想を見つめ直して咀嚼する暇すらもなく、道を見失って自分すらも救えなかったのなら…こんなに悲しいことはないなと思います。

この記事で、アーチャーというキャラクターの詳細に触れるのは、僕の表現力には余りあることなので、作品本編もぜひ観ていただけたらと思います。(笑)

アーチャーというキャラクターは、生きている人間ではなく、既に死んでいて英霊となったというキャラクターだ。生前に、正義の味方になるという理想を持って、様々な場所に赴いて、多くの人々を救っていたが、その救っていた人々に裏切られて最期を迎えたという人物である。

なぜ裏切られたのかは、本人は口数が少なく見返りも一切求めず、悪人を退治していったため、救われるもの以外からは自分たちもいずれ粛清されるのではと恐れられていき、次第に敵が増えていったからというのが大筋である。

彼の思考が分からないと、第三者からはどんな風に見えるのかが、2010年に公開された劇場版の感想記事でも触れられているので、特に引用部分に注目してみたい。

原作がずっと士郎の一人称視点だったこともあり、第三者の視点から見ると士郎ってやっぱり何考えているかわからないというか、不思議な人って感じが強いキャラクターだったんだなーという印象も受けました。
脳内ではいろいろ考えているし、根拠もちゃんとあるんですけどね。

なお、最大のネタバレだが、このアーチャーの生前は、主人公である衛宮士郎だ。
原作ゲームは、ノベル形式で主人公視点でストーリーが進むものなので、それぞれの場面でどんなことを考えて行動しているのかが分かるが、アニメだとキャラクターの頭の中までは、表現を余程工夫しない限りは、視聴者(第三者)からは分からない。

2010年公開の劇場版では、その描写が結構抜けてしまっていて、参考記事の筆者は上記の感想を書いているという訳である。

現実では、ここまで悲劇的な出来事につながることは滅多に起きないかもしれないが、自分の頭の中を言語化しないことによって起きうることについて、色々と示唆に富んでいるように思える。

※衛宮士郎というキャラクターが気になったら、こちらの記事もご参考ください。

「言語化」した方が良い「何か」

ここで「言語化」に話を戻すと、お互いに知り合って間もない段階でディスカッションや対話をする時に言語化は必要となり、特に言語化した方が良いのは、自分の「思考(プロセス)」ではないだろうか。
英語で話す時に、自分の考えを言った後に「Because...」で理由を言い表すのと似ているとも言えるかもしれない。

自分の意見やアイディアが、ユニークであればあるほど、自分の思考(プロセス)を言語化しないと、相手との認識に微妙なズレがあるまま、やり取りを進めていくことになってしまい、結果的に、価値観の衝突が起きてしまう。

今回、突き詰めて考えてみて、複雑なもののようにも感じられる「言語化」が一転して、シンプルなもののようにも思えてきた。

この記事を最後まで読まれたあなたは、どのように感じられただろうか?

まだ思考の足りていない部分も多々あると思うので、色々な観点からのコメントもいただけると嬉しいです。

あとがき(というより、次の記事のテーマ候補)

記事執筆のために色々と調べていたら、「アサーション」というものにも当たった。これは、「自分も相手も大切にする自己表現」だそうだ。
ググってみたら、説明記事も色々あったのだが、どれも人事研修をしている企業のPR記事だったので、書籍のリンクを参考として載せておく。
以前によく悩んでいたこととも関わる部分が多かったので、次の記事ネタにしてみようかとも考えている。


記事をお読みいただき、ありがとうございました!もしよろしければ、サポートいただけると日々の活動の励みになります!これからも日本の非営利活動のお役に立てるように、様々な機会に参加して得た海外のソーシャルセクターの情報や知見を発信していきますので、今後ともよろしくお願いいたします!!