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社会人大学入学を控えて振り返る、空白の4年間

こんにちは。たかぎと申します。

自分は先日大学を卒業し、4月から新社会人として活動していく、22歳の男です。福島出身で、大学で沖縄にいき、現在は入社研修のために福井にいて、数か月後に東京に配属になるという、変な経歴です。そこら辺のバックボーンは追々少しづつ明るみになると思います。

入社を控え、社会人になるということで、そのことを私の好きなオードリー若林さんの著書、「社会人大学人見知り学部卒業見込」からとって、「社会人大学入学」と表現しています。

社会人大学入学を控えている私ですが、思い立ってエッセイ的なことを書いていけたらと思い、アカウントはずっとあって投稿していた時期もありましたが、また始めていきたいと思います。もしかしたら時事から思うことを欠いたりもすると思います。読んでもらって何かを感じられるようなものを書けるように頑張りますので、よろしくお願いします。



大学の卒業式を前に

先週、大学の卒業式があった。一か月ほど前に福島の実家に引っ越していたので、卒業式のためにわざわざ沖縄に行き、その他、銀行の解約やバイト先だったホテルの人とご飯にいくという予定があった。

ただ、前提として、自分は卒業式がまったく楽しみでなかった。「卒業したくない」「友達と離れ離れになりたくない」という理由ではない。むしろ逆であった。「さっさとこの大学からおさらばしたい」「友達も一人もいない」からだ。

卒業式でフラッシュバックした、大学生活

福島の磐城高校という地元では進学校とされる高校に中途半端に入学してしまったことから、周りには結果的に東京大学や東北大学に入る人、そこまでいかなくてもMARCH、地方国立大学に入学する人がたくさんいた。ある日、昼休みに弁当を食べていると、他クラスの人が話しているのが聞こえて、「琉球大学は国公立の中で偏差値が一番下で~」みたいな会話が聞こえてきて、その当時は、部活しかしておらず、自分自身全く勉強もしていないし、大学に関しても無知だったので、「へー」としか思っていなかったが、結果的に沖縄の、しかも琉球大学より下の公立の大学に進まざるを得なくなった自分の大学入試の結果から、自分に心底失望した。そして、大学入学当初は他大学への編入を考えているほどだった。それなりの大学に合格し、関東周辺で大学生活を謳歌している同級生と、沖縄の名もない大学にしか行けず、そのために辺境に行かなければならない自分が情けなかった。

結果的に、そのマインドを引きずったことが全ての悪い結果へとつながった。コロナ禍や、編入のための勉強をして(結果的に編入はあきらめる)いたこともあり、そしてなにより「こんな大学に来て満足しているこの人たちの気が知れない」というしくじったマインドから、大学入学後、友達は全くできなかった。大学の同じクラスの男子が集まって遊びに行ってるのをインスタで見て知ったり(人を寄せ付けないオーラが出てたから誘われもしない)、一応入ったソフトテニスサークルも、気が合う友達ができなかった(3年から就活でいかなくなる)。大学生活に関しては、今後別の記事で細かく振り返りたい。この後もざっくり振り返りつつ、別の記事でさらに細かく振り返る。

3年からゼミが始まった。そのころには流石の流石に自分も丸くなっていて、大学編入もあきらめているし、二年間友達もおらず、孤独で死にそうだったので、友達が欲しいなと思っていた。全員で16人ほどの、男女比が大体同じゼミに所属した。ゼミが始まってから話す人もでき、飲み会などもちょくちょくあって、その時は楽しかった。ただ、ゼミなんて他のみんなからすればその程度だった。1,2年生の時にできた友達とのコミュニティの方が優先度は高く、時々飲み会に行く程度の仲。全員でとかでなくても、ゼミの中で毎日のようにあったり、一緒にどこかに遊びに遠くに行くような友達はできなかった。

卒業式で感じた、後悔、惨めさ、情けなさ

そんなこんなで、友達もいないのにいっちょ前に毎日サボらず大学には行き、卒論も出し、無事卒業となった。

卒業式当日を迎える。会場に入る。もちろん一人で。外では卒業式の看板の前で盛り上がる人たちがたくさん。何度か授業などで見たことあるなという人を見つけながらもスタスタと進み、席に着く。たまたまゼミが同じで、まだ距離が近くてあったら話すくらいの男サッカー部の知人がいたので、二言くらい話しながら、近くに座る。もちろんその子の隣には、サッカー部の仲間が。なので、そこまで自分とは話す感じでもない。

プログラムを読みながら時間をつぶしていると、授業やゼミやサークルで話したり、一時期いいなと思っていた女子を見つける。その横には彼氏。というか、当たり前のように、大体みんな誰かといる。その中で、一人の自分。一人でいる奴なんて結構いる、と思われるかもしれないが、「今一人でいる」ことより、卒業式を前に、大学生活を振り返って、何も楽しい思い出がないことが悲しくて仕方なかった。中学、高校と経験したような、仲間との思い出など全くない。ただ、その原因は全てプライドまみれの自分、行動しなかった自分、魅力的でない自分のせいであるということが、何より惨めでつらかった。

式が始まって、祝辞などを聞いているが、普通に式が始まる前にトイレに行かなかったので、トイレに行きたくなって、絶賛式が進行中の中、一人立ち上がってトイレに行く。ただ、一人でいるのが惨めになったというのもある。もう、この式が早く終わってほしかった。

その後、学位が授与され、解散となった。他のゼミのメンバーは、みんな1,2年生の頃の友達や、あるいは部活、サークル、その他グループの人たちと集まり、写真撮影をしていた。たくさんの花束や、プレゼントを抱える人たちを横目に、身軽な自分はウロウロとするだけ。「何かあるんじゃないか」と思いながら。その「何か」とは、今振り返っても説明できない。ただ、このまま帰るのがあまりにも寂しく、悲しかった。惨めで情けなかった。

光と影

解散となったのが14時くらいであったが、15時くらいから、有志の人たちがアーティストを読んでスペシャルライブをするとのことだった。せっかくだから、一番前に座って観ることにした。そのアーティストとは「かりゆし58」だった。正直、星野源さんくらいしか聞かない自分は、なんか有名な人たちだなと思っていて、最初はあまり感動しなかったが、結果とても盛り上がった。そして、最後、そのスペシャルライブの有志の実行委員の人たちの挨拶。実行委員長は同級生で卒業生。パッションにあふれる人で、無事ライブを成功させ、泣いていた。それを見て、本当に情けないと思った。自分もこの人のように、自分で動いて、仲間と何かを成し遂げ、涙を流すような学生生活を送りたかった。

自分の4年間は、現状に不満を言い、それを解決するための努力をせずに閉じこもるだけ―――。

その実行委員長は光のように輝いていた。対して自分は影。情けなかった。


繰り返さないために

だから、社会人大学では、とにかくたくさんのことを全力でチャレンジしてみようと思う。恥をかいても、嫌われても、この大学4年間ほど惨めで情けないことにはならないはずだ。たくさんの人と関わって、何かを学んで、少しでも成長する。

一番つらいことは、孤独だ。これほど惨めなことはない。だから、優劣をつけず、たくさんの人と関わり、語らい、仲を深めたい。そのために、自ら声をかけ、誘う。むしろ気など、使わないぐらいの心持で。

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