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大学生活を振り返る(一年生)ー入学とともに始まったコロナ禍

前回、自分の大学生活が孤独で、情けなくて、惨めであったかを書いてみた。今回から、大学四年間をそれぞれの学年で区切り、振り返ってみたいと思う。

大学受験失敗

一年生のことを振り返る前に、なぜ自分が沖縄県の辺鄙な場所にある大学に入学することになったのかを振り返る。

まず、自分は関東の大学に進みたかった。5つ年の離れた兄が関東の大学に通っていて、兄の大学生活が楽しそうに見えたので、自分も関東に行って、時々友達と野球観戦したり、東京に行って、都会を感じるような大学生活を送りたい、いや、送れると信じていた。

ただ、そんなに現実は甘くない。自分は高校生活の大半を部活のソフトテニスに費やしていた。3年生になるまで家でほとんど勉強していない。団体戦で県大会3位になるなどの一定の成績を得て部活を引退したころから勉強を始めた。ただ、自分にとって勉強は苦痛でしかなかった。

最近なるほどと思った言葉がある。「苦しい努力は実らない。楽しい努力、いや、努力と思わないことの方が実る」。これは、的を射ていると思った。自分なりに、一年間、勉強をした。一浪して東大に行った同級生から、「めちゃくちゃ勉強してるね」と言われたこともあった。ただ、いやでいやで仕方なかった。そんななので、成績も全く伸びず、センター試験でコケた。

家は裕福とはいえなかったので、国公立に進んでほしいと親に言われていた。そんなこんなで判定的に行けるのが沖縄の公立大学だった。

情けなかった。それなりに勉強をしてきたはずだった。その結果がこれかと自分の能力のなさに絶望した。ストレスで勉強中に頭が真っ白になったり、頻尿になったりしたが、この程度かと。ただ、沖縄に行くしかなくなった。


忍び寄るコロナ禍

入学の時が迫る。そこでニュースが飛び込む。「新型コロナウイルス感染拡大―――」。

同級生の進むほとんどの大学は、一か月程度の休校となり、地元からも出なくていい、という状況だった。しかし、自分の進む大学は、4月の直前になっても何の連絡もなく、結果、4月に入り、大学のある沖縄に行くこととなった。

自分は、引っ越しを機に初めて沖縄に行った。右も左もわからない土地に、コロナという未曽有の危機の中、足を踏むこむ。

結果、大学は一日だけ対面でオリエンテーションをしただけで、一か月程休校となった。アホかと思った。どう考えても沖縄に来なくていいように対応したほうが、学生も安心しただろう。

実際、自分はコロナ渦で外出自粛がされる中、右も左もわからぬ不便な土地に一人で閉じ込められることは非常にしんどかった。何度も大学をやめようと思った。

ただ、その状況を打破するため、ZOOMで同級生や高校時代の部活の先輩と話すなどし、その孤独を和らげた。ZOOMに関しては、2年生の途中まで、週2くらいでやり続けた。でなければ、孤独に押しつぶされていた。正直、大学一年生の思い出はこのZOOMがほとんどだ。自分とZOOMで交流をしてくれた方々には、本当に感謝をしている。ありがとうございました。

大学での思い出

大学一年生の時の大学の思い出は、ほとんどない。自動車学校に行ったり、ZOOMをしていた記憶しかない。

休校を終え、大学が始まったときに、気が付けばコミュニティが周りでできていた。そこに、自分はうまく入っていくことができなかった。それは、入学した大学に納得してないことや、その大学鹿入学できなかった自分への絶望、その大学にいる人を内心見下すといういいことが一つもないマインドだったからに他ならない。

本当に一人だった。時々、授業がきっかけで話すことはあるが、「友達」というものはできなかった。定期的に会うような友人も、自分をさらけ出して話せるような友人もできなかった。こんな状況で、一年生は終わりを迎えた。

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