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ひょっこりはんを娘に教えてもらった※子育ての話

子育てをしていると、特に子どもが小さいころは、親として気づかされることが多い。

大げさに言うと、自分の人間観みたいなものが、ふだん子どもにかける一言一言に反映されるし、発した言葉を自分で聞いて、自分はそんなことを考えていたんだと気づかされるのだ。

人間としての成長だってそう。子どもの成長とは、「昨日までできなかったことが今日突然できるようになる」の繰り返しである。ボールが投げられるようになるとか、文字を読めるようになるとか、成長の過程でさまざまな技術を獲得していく様子を見て、ひとりの人間の移り変わりを感じるのだ。

ただ、これらの気づきというのは、当たり前だけど、こちらが勝手に気づいているだけで、子どもが伝えようと思って、伝えてきているわけではない。箱庭で育つミニチュアを眺めながら、観察し、そこから学んでいるにすぎない。

お父さん、ひょっこりはん知っている?

ところで、だ。5歳の娘が僕に言うのだ。「お父さん、ひょっこりはん知っている?」と。

知らない。

正直、ひょっこりはんのことはどうでもよくて、僕がちょっと感動したのは、「娘が僕の知らないことを教えてくれた」ことなのだ。いままでは、こちらが気づかされるばっかりだったのが、情報としてひょっこりはんが娘によって僕にインプットされた。

当然、その日保育園で何があったとか、そんな情報は今までも伝えてくれていたけど、今回のひょっこりはんはなぜか事情が違ったように僕は思ってしまった。

大げさにいうと、5歳の娘が僕の先を歩きはじめたようなそんな感覚。箱庭にいたミニチュアは、等身大の人間として近づいてきたのだ。

彼女はこれから、僕の見ていないところで、僕の知らないことをたくさん見聞きしていくだろう。そのうちのいくつかを、僕に教えてくれるかもしれない。

ただ気づかされるばっかりの段階から、次のステージにいったような、そうでもないような。いま、僕はとってもキモいことを書いているのかもしれない。

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