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他人と理解しあえないことで消耗していた私が教わったひとつの思考法

 「良かれと思ってやったのに、どうして違う風に取られるんだろう?」

 「どうしてその場面でそんなひどいことを言えるんだ」

 ほかの人から受ける、理解できない行動や思考に、心が擦り切れることはありませんか?
 今回のお話は、そういったことに悩まされていた私が、一段楽になれた、その体験談です。

心の消耗というもの

 元々そういう性格なのか、後天的にそうなったのかはわかりませんが、私は大抵漠然とした不安を抱え、その波が大きい時には他人の一挙手一投足が気になり、何度も何度も反芻しては、どうにもならないことに悩みました。

 相手が何も言っていないうちから頭の中で無数の、想像の会話を行い、シュミレートを繰り返し、勝手に消耗していました。
でも、大抵の場合、当然ですが、相手はその通りに動きません。
 思ってもいないところから悪意ある言葉が飛んできたりすることも多々ありました。

 少しずつすり減る心を、都度わずかに音楽で癒し、生活をつづけました。そしてたまに一気に下がり、少しの間立ち直れないこともありました。

別の社会というもの

 当時は正しく分析できていませんでしたが、そんな症状が和らぐ時がありました。

それは、”別の社会”を持った時でした。

 家、学校、会社。そういう毎日のサイクルとは別の、そことは全く重ならない交友関係と過ごす、まったく別の空間。私の場合はやはり音楽が切り開いてくれました。

 音楽を聴いて楽しみ、一緒に演奏をしてみたり。教えてもらったり。そのこういう関係での自分は、普段の自分とまるで別人になれました。
今までなら不安に思うことがあっても、反芻することはありませんでした。不安はありますが、引きずることはありませんでした。

 つまり、私は複数の人間に入れ替わることで、不安をリセットしていたんだと思います。しかし、可処分時間の減少と共に、この時間は失われていきました。

別々の個性というもの

 別の社会とそこに生きる別人格を失った私は、再び心をすり減らしていきました。ある時また波が来て、私は一気に底に向かって沈みました。

 家族は、そんな自分を引っ張って、とある場所に連れて行ってくれました。

 そこは、投薬ではなく、呼吸法や思考法、心身の健全化によって精神的な落ち込みを改善しようとするところでした。
 そこで私は様々な指導を受けましたが、最も印象に残ったのは一つの思考法でした。

 曰く、人には様々なタイプがあり、「親の影響によるもの」と「自分の人生経験によるもの」の掛け算でこれが決まり、全く違うタイプの人のことは、真に理解はできない、というものでした。

 この考えに触れたとき、視界が一気に開けた気がしました。

ああ、そうか。どうしてわかってくれないんだ、ではなく、違うタイプだから元々わからないんだ。紡ぎだす言葉が同じでも、その人によって意味が違うこともあるんだ。同じ言葉で説明しても、全く違う意味で理解されることがあるんだ。

 その時から、私は自分が想定していないリアクションが来ても、ああ、この人はきっと自分とは別のタイプなんだね、と一つの理解ができるようになり、わからない怖いものではなくなりました。

 つまり、人にはいろんなタイプが存在し、各々理解しあえない。
だからこそ、思わぬリアクションが来ても傷つく必要はなく、突然悪く言われようとも傷つく必要もない。
 ただ、その表現では伝わらないだけで、伝え方を変えればいいんだ、ということではないでしょうか。

心が消耗しない為に

 世の中にはいろいろな方法論があります。

もちろん私の知らない別の解決法もあることでしょうが、少なくとも私はこれらの対処によって消耗を軽減することができました。

 あなたの軽減法はなんですか?

もしまだ見つかっていないのなら、

「今の交友関係とは別の社会を作る、または参加してみる」

「人にはいくつかのタイプがあり、違うタイプの人とは分かり合えない」

この二つを頭の片隅に置いて、日々を過ごしてみてはいかがでしょうか。

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