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あるべき自分、ありたい自分

何にもしたくない。

ときどき、ただただ、好きなコト、好きなヒト、好きなバショで過ごしたい。日常の騒音から離れたい。自分本位でいたい。
そんな気持ちになったことはないでしょうか?

真面目な人ほど、そんな自分を「怠け者」と恐れ、本当の自分から目を背け、「あるべき自分像」に縛られて、自分を解放できずに苦しんでいる人もたくさんいると思います。

私たちは、これらのいわば「ありたい自分」と「あるべき自分」の両極の力のせめぎ合いの間で生きていますよね。

「あるべき」自分と「ありたい」自分は、
似て非なる意味。

「あるべき」自分は、僕の中ではジグソーパズルのワンピースみたいなイメージ。全体の中の一部。一見ひとつひとつ形が異なり、個性に見えるけど、実のところ全体に都合よく形成された没個性。予定調和。

一方、「ありたい」自分は、レゴのブロック。ピースひとつひとつには個性がなくとも、組み合わせ方次第でどんな姿にもなれる。自由な発想が紡がれたユニークさ。

私たちは、常に自分自身をめぐり、これらの相反した2つの力のせめぎ合いの中に生き、苦しみ、もがき、悩み、同時に時折これら2つの重なりを感じたとき、つまりあるべき自分とありたい自分の重なりが大きくなったとき、至極の幸福に包まれます。

ありたい自分は、あるべき自分があるから、一層輝いて見えるのかもしれませんし、もしあるべき自分がなければ、ありたい自分で生きることの幸福を真には得られないのかもしれませんね。

闇があるから光がまばゆく、不自由があるから自由への憧憬が膨らみ、不幸があるから幸福の存在に気がつくことができる。

人生というのは本当に奥深いです。

そして、人生の真理の声に少しでも気がつけるようにこれからも心の耳を立てながら、人生を楽しんでいきたいと思います。


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