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海外MBA受験を最後まで走り切る

今回は、海外MBA受験にあたっての心持ちの話です。


日本人海外MBA留学生が得る独特な充足感

ライフイベント、健康上の問題、新型コロナウィルスの影響によって生じた変化等、外的要因によって、海外MBA受験を断念することは十分あり得るでしょう。

しかし、自分で制御可能な要因が理由で受験を断念してしまうことはあまりに勿体ないものです。

身も蓋もないことを言えば、第一志望の学校に入れなくても、日本人は通常自分の海外MBA留学体験について相当のレベルの満足感を得ていることが多いです。

これは、受験にあたり英語面の苦労を追加努力として求められない他国籍の在校生・卒業生と1つ大きく異なる点です。

IESE(イエセ)に何が何でも入学したかったけれど、合格を得られず他校に流れ、それでも幸せな留学生活を送り、卒業後見事な活躍をされている日本人を何人も知っています。

また、IESEが第一志望でなかったけれど、第一志望の学校から合格を得られずIESEに入学し、それでも幸せな留学生活を送り、卒業後見事な活躍をされている日本人を何人も知っています。

少なくとも私が入学審査に携わるようになったMBA Class of 2019以降の日本人IESE卒業生は、程度の差はあれ、全員高い満足度の留学生活を送っています。

他方、ごく一部ですが、IESE愛を持ちきれなかった他国籍の卒業生で、入学審査チームでも、IESEのイベントに登壇させることが推奨されていない卒業生のリストが存在します(日本人は含まれていない旨、再度強調します)。

この差は、やはりMBA受験への努力量等、求められるものの度合いが日本人の場合は外国人と比べて圧倒的に高く、それを乗り越えてきたことによる自信、満足感に繋がっている結果なのだろうと思います。


学校選択とキャリア機会


海外MBAの入学の敷居は驚くほどにピンキリなので、自分の実力にそぐわない無謀なポートフォリオを組まずに複数受験していれば、通常はどこかしらに合格できます。

(関連して、適切なポートフォリオを組んでいることが前提になりますが、良い意味でも何が起こるか予想しづらいのが海外MBA受験です。スコア等を理由に無理と決めつけて自分が強く惹かれている学校を受験せずに、MBA受験生活を終わるのも、やや勿体ないと感じます)

ただ、以下の記事でも述べましたが、私の感覚では、大雑把な括りでファイナンシャルタイムズの世界上位20位程度に入っているかどうかで、MBA採用企業のそもそもターゲット校となり得るか否かという意味で、確かに卒業直後のキャリア機会はそれなりに変わってきます。

しかし、そのグループ内に入っている限りにおいては、結局個人戦、特に個人のMBA前のキャリアが重視されるので、MBA卒業直後の就職活動において、学校名はさほど関係しない印象です。

(一部のプライベートエクイティなど例外は存在するでしょうし、米国でフルタイム就職したいなら米国校を目指すべき、など細かい指摘はあり得ます)

ここは多くの受験生が誤解している点ですが、よく考えれば当たり前です。

MBA採用企業が気にするのは、GMATの点数が高いかどうかよりも、採用したら活躍できるかどうかです。

新卒採用時は、課外活動等はありながらも、フルタイムの就業経験がないわけなので、やはり学歴というのが本人のポテンシャルを見る上でのある程度の拠り所になるのは致し方ないでしょう。

しかし、MBA採用時は、就業経験も加わるわけですから、新卒採用時と比べて、学歴の重要性が下がるのは当然のことです。

GMATの点数がとてつもなく高いと、キャリア上の本来の実力以上のランクの学校に合格できてしまう可能性があります。

私の知人でも、GMATが非常に高かったがゆえに、ランキング上はIESEよりも上位に位置する学校に合格して、但し、キャリアが弱いため、MBA卒業後の就職活動で苦労し、その後のキャリア形成も苦戦している方を知っています。

(但し、最終的には、本人が自分の軌跡と今なしていることに満足しているか+本人が世の中に価値を生み出しているか、それら以上に重要なことはないと思うので、私のこの見方自体が、ある意味どうでも良いとも言えます)

そういった意味で、海外MBAに来て留学生活に満足感を得られる率と卒業後のキャリアで満足感を得られる率には一定の乖離があり、上位校に合格したからと言って、後者の可能性が高まるとは全く言い切れません。

それもあって、受験浪人にあたることや、MBA受験期間を年単位で延ばしてまで更なる上位校を狙うことについて、キャリアが極端に短くかつ浅い方でむしろキャリアを積むことが望ましい方を除いては、私は、通常お勧めしていません。

IESEの卒業生でも、主観かつ肌感覚でしかありませんが、留学生活での満足率と卒業後のキャリアの満足率に多少の乖離が存在することは否定しません。

言い換えると、キャリア面だけで物事を語るならば、学校選択よりも卒業後の職業選択の方が難しいし重要、とも言えるかもしれません

(社費派遣元に帰ることも職業選択に含まれますし、卒業後の入社とキャリアの成功は同義ではないので、念のため)

しかし、少なくともIESEにおいては、私のようにMBA入学審査担当とキャリアサービス担当を同じ人間が担っている場合、その担当者が卒業後のポテンシャルを入学審査時点で一層注意深く見ようとしています。

(入学審査担当としての自分のKPIを満たすためだけにキャリア上危うい方を合格させることはしませんし、それをするとキャリアサービス担当としての自分が痛い目に遭います)

また、入学審査の地域担当者が兼任でない場合は、キャリアサービスのメンバーを入学審査委員会議(アドミッションコミッティー)に招集して議論するようにしています。

これにより、完璧ではないながらも、前述の乖離をある程度減らすことはできています。

前提として、キャリアサービスは卒業後の就労ポジションを直接提供するために存在するのではなく、あくまで学生が就業機会を獲得するのを様々な形で支援するために存在する、というのがIESEの場合の考え方です。

他方、この新型コロナウィルスの中にあっても少なくとも日本のMBA採用市場の状況は特に落ち込んでおらず、圧倒的に日本人MBA生が外国人MBA生から見た羨望の的となっている状況に変化は生じていません。

これも、海外MBA受験・合格のためには日本人の場合他国と比べて壮絶な努力が必要で、金銭面などの環境が整っていたとしてもそれを完遂できる人間が希少である、ということ及び、そんな希少な人材だからこそ採用したいというMBA採用企業の意欲をある意味示したものでもあります。

加え、日本語という言語の障壁としての効用もあるでしょう。


学校の垣根を超えて結束する海外MBAというコミュニティ


学校選択より海外MBA卒業後の進路選択の方が難しい、と、一見厳しくも見える書き方をしました。

しかし、見方を変えれば、海外MBAの旅に乗り出すこと自体が重要で、学校については、一定のレベルを超えていればさえいい、という少し気を楽にした考え方ができないでしょうか。

海外MBAの在校生・卒業生は、MBAの学歴でマウンティングし合うような関係には通常ありません。

むしろネットワークの重要性を理解しているので、学校の垣根を超えて海外MBAコミュニティの中で横に繋がる努力をしようとします。

GMATの壮絶な苦労話は、学校の垣根を超えて海外MBA生同士で結束を深めるにあたり、最速で最良の手段です。

学校名やそのレベルを過敏に意識して本能的に比較に走ってしまうのは、人によるとは思いますが、MBA採用企業によって合格後に開催される合格者壮行会(5-6月)、あるいはせいぜい海外MBA入学直後(就職活動の現実が少しずつ見えてくる頃)くらいまでではないでしょうか。

安易に英語だけの話に単純化するのは良くないのかもしれませんが、日本人にとって英語は神様が与えた最大の試練の1つだと考えます。

例えば、私の英語上達速度とスペイン語上達速度の差を踏まえてもそうですが、スペイン人が英語を勉強するのとは比べ物にならないほどの努力をしなければ、日本人は同じレベルには到達できません。

それだけ日本語と英語は色んな意味でかけ離れています。

人間、いかに不平等に神様によって作られているかということがよく証明されています。

日本語が世界の第一共通言語であれば、日本はとっくに世界を牛耳る君主国として君臨していても何らおかしくないでしょう。

一方で、海外MBAに出願できるということは、少なからず世間一般の方よりも環境的に恵まれた立場にいらっしゃるということだと考えられます。

この世の中には、努力したくてもその土壌すら手に入れられない方がたくさんいます。

この点でも、人間はつくづく不平等です。

それに対して、英語は努力すれば伸ばせます。

日本でも十分伸ばせます。

海外MBAに来ると英語が道具でしかなくなるという事実に直面して初めて、英語を体系的に学ぶことは日本でも色々できたのだろうな、と気づくのは私含めて多くの海外MBA生が経験することです。

そして、その英語に加えて、一定のキャリアと一定の資金源と言う土壌があれば、海外MBAには出願できます。

逆に英語ができても、土壌がなければ出願できません。

前述の通り、一定の水準を超える限りにおいて、どの学校に入るかによって、生きるか死ぬかの命運が決まるわけではありません。

自分の努力次第で変えられる未来があるならば、それに向かって諦めずに邁進してみませんか。

確かに、海外MBAの価値が周りから理解されにくいこともあるでしょう。

それは、周りから理解されにくいということは、いかにこの世界が、手の届きにくい世界であるかという事実を裏付けてもいます。

そして、それゆえに、ある意味、彼らに海外MBAの価値をわかってもらおうという主張こそが傲慢なものだと言える部分もあるかもしれません。

だからこそ、その世界の中で生きている人たちは、学校名などに囚われず、結束して、自分たちのやっていることが正しいことを証明し、それを実現できる土俵に日々感謝しながら、自分たちにしか出せない価値を出そうと懸命に努力しています。

そして、次世代としてこの世界に飛び込む人に、その覚悟や苦労を実体験として完璧に理解しているからこそ、基本的には金銭面その他の見返りを求めることなく、支援の手を差し伸べようとしています(pay forwardの精神)。

他方、海外MBAに行くべきかそもそもまだ悩んでいる段階であれば、一定の定量・定性的な調査をした後は、やはり在校生や卒業生と話して、自分のアドレナリンがどんどん出てくるか、描きたい新しい自分の一部を彼らの中に見つけられるかで判定すれば良いと思います

(海外MBAに踏み出すかどうか検証することは本稿の本筋とは別の話です)

私も、IESEに来られた方だけでなく、IESEに何かしらの理由でご縁のなかった方々とのネットワークは保っていきたいと思っていますし、そういった出会いの数と質に恵まれているのもこの仕事の幸運な部分だと思っています。

そんな出会いを、今この記事を読んでいる皆さんと作っていけることを楽しみにしています。(もちろん、IESEに出願の上、ご入学頂ければなお幸いです)

もし、既にMBA受験のレースを走り始めていて、何もそれを止める外的要因がないのであれば、大変という言葉では到底不十分かとは思いますが、土壌があり努力すれば報われ得るという状況自体が恵まれたものと再認識し、どうか走り続けてください。


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