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YS 1.46 種が残っていた

前回のスートラ1.45 を読んで、そんなすごいところまで目指すのかと思ったら、「 ま だ 途 中 だ っ た 」と愕然とする今回のスートラです。まだまだ続くサマーディの時間。
ヨガインストラクターのもえと申します。今週もよろしくお願いします。

※前回分は、こちら『YS 1.45 根っこに届く』をご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章46節

ता एव सबीजः समाधिः॥४६॥
tā eva sabījas-samādhiḥ ॥46॥
ターエーヴァ サビージャハ サマーディヒ

以上がサビ―ジャ・サマーディ【有種子三味】であり、そこにはまだ修行者を束縛や心的動揺に引き戻す可能性が残っている。(2)


もととなるサンスクリット語で書かれたスートラは、これまでに説明してきたサマーディの段階には種があると書くだけでした。それを、インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2。以下、インテグラル・ヨーガ)では「そこにはまだ修行者を束縛や心的動揺に引き戻す可能性が残っている」とまで解説を加えて書いています。

それについて、解説では「そこにはまだ過去の印象(サンスカーラ)[行]が残っているので、あなたは通常の人間状態に戻り得る」と書いています。サンスカーラとは、過去の経験によって潜在的に刻み込まれた跡や印象のこと。地面に残された轍(わだち)をつい馬車がなぞってしまうように、意識下に残された印象をなぞって同じような行動や思考のパターンを繰り返してしまう、その原因と考えられています。これまでにも何度か登場してきました。それを「種」と呼んでいるわけです。


サンスカーラ、または、心と身体の奥に残した跡や印象というと、どんなイメージをもつでしょうか。物事を脚色なしにまっすぐにみることを目指していく過程であることを考えると、執着を引き起こすものとして、悪いものとしてイメージしやすい言葉です。ただ、ここでは、意識が最終的なかたちとして、種のかたちに濃縮されるのだとフォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)が書いていることを考えると、ここではそうでは無さそうです。

これも何度も思い出しておきたいと思うのですが、そもそも、ヨーガ・スートラは善悪や良し悪しについてはあまり語られないように思います。スートラ1.5 で苦痛に満ちたものか、あるいは苦痛なきものかという問いたてるくらいかなと思いますが、それもサンスカーラそのものではなく、サンスカーラから芽を出したことによって起こる心や感情の揺れなわけです。いま、そのくらい深く潜っているのかと改めて気づかされます。


いったん集中の対象物の輪郭を濃くしてから、その境界線を溶かしていくという過程を経て、前回のスートラで、この五感で触れている世界〈見られるもの〉の根っことなるプラクリティに手が届きました。そのとき、前述の通り、意識の最終的なかたちとして、種の形に濃縮される。ここの段階ですでに、2つに分けることができない水と塩が完全に溶け合わさったように、瞑想の対象に据えたものは、こころ全体に溶け込んでいます。そして、主観性すら消滅していくのが、アスミタという、意識の最終的な段階へと進んでいきます。

スートラ1.17 で簡潔に書かれたサマーディについて、より細かく説明しているここしばらくのスートラですが、そこの解説ですでに、アスミタについて言及がありました。「〈個〉の意識。純粋な〈自身であること〉のみを認識している状態。外に在るものを見ていた視点が、徐々に自身の内側に、より細かく、見るようになっていく最後の過程で、もはやその知覚する行為すら消滅し、ただそこに自分の奥底に在るものを認識するのみとなる。」と書いています。

そしてこの後、そのアスミタという段階も消滅する。そして、自身であるという意識が、種と同様に取り除かれる。それは「塩と水を混ぜた液体が、蒸発するように」だということです。フォーチャプターズの秀逸なたとえ。

そして、このヴィタルカからアスミタまでのすべてのプロセスが、サビ―ジャ・サマーディ、漢字で書くところの有種子三味、だということです。


種ありがあるなら、種なしもあるってことよねと、うっすら香ってきましたか? そういうことです。ここまで来て、まだ先があるのかと思うと、果てしない旅です。だからといって、くさっていてもしょうがない。

インテグラル・ヨーガが面白いことを書いていて、これは、不純な者でも努力すればできるというのです。ただし「その〈神〉は、彼らの不順さのゆえに、彼らには悪魔の姿をとって現れるだろう。彼らの資格には色がついている―彼らは〈神〉を混じりっけなしでとらえることができないのだ」と書いています。ここでだから、純粋な人間だと思えなくても、真摯に練習しなさいよと声をかけてくれているようです。

というわけで日々の練習! ずいぶん前のように感じますが、瞑想の入り口となる集中に、こんなのを対象にしたらいいよとパタンジャリはすでに教えてくれています。以下のリストを置いておきますので、これいいなと思うのをぜひのぞいてみてください。

・4つの態度を育てることで(スートラ1.33
・呼吸をコントロールすることで(スートラ1.34
・感覚器官を活用することで(スートラ1.35
・内にある光をイメージすることで(ス―トラ1.36
・あの人を対象とすることで(スートラ1.37
・寝ているときのあれこれも活用して(スートラ1.38
・または、自分の好きな方法で(スートラ1.39


ではでは、今回も最後はスートラを音読して終わりませんか。身体もつかって、スートラに出会いましょう。


今回は、いままでのサマーディの総称をどかんと提示してくれたスートラでした。これをふまえて、種が消えるサマーディの段階へと展開していきます。また来週お待ちしています。

※ 本記事の参考文献はこちらから



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