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猫の看取り(治療し過ぎて後悔した記録)

★ないと:♂猫 2000年12月30日保護→2014年11月10日永眠

2014年10月31日 動物病院で急性膵炎と診断されました。
唸り声をあげるくらいの激痛があり、嘔吐が止まらず
その日から自宅で24時間体制での治療が始まりました。

セレニア、プリンペラン、プレドニゾロンを症状に合わせて
適時適量を注射し、ラクトリンゲル液を毎日150㏄点滴。
痛みと嘔吐が止まったのは11月3日でした。
自力排泄はできましたが、飲食は全くできなかった為
嘔吐が止まってからキドナ(経腸栄養食)を強制給餌で与えました。

下がっていた尿比重も1.020まで少し回復し、飲食はできなくても
あくびや伸びをしたり、リラックスして眠れるようになったので
回復すると信じて、医師の指導を仰ぎながら自宅治療を続けました。

ところが11月10日19時、突然意識を失って倒れ痙攣と過呼吸。
慌ててプレドニゾロンを注射すると、意識が戻り痙攣も呼吸も
落ち着きました。

21:00強制給餌の時間になったので、いつもと同じように
キドナを飲ませた3分後、また意識を失って倒れました。
痙攣と浅く早い呼吸が続き眼振も始まりました。
もう一度プレドニゾロンを注射しました…が、痙攣も呼吸も眼振も
改善することなく、呼吸が徐々に止まっていき亡くなりました。

この頃の私は、治療をすればするほど回復すると信じており
ないとの負担やストレスにまで、配慮出来ていませんでした。

最後の強制給餌も最後の注射も必要なかった。必要ない治療をして
亡くなる直前まで、ないとに苦しい思いをさせてしまったこと、
そのせいでゆっくりと最期のお別れの時間を持てなかったこと、
後悔が尽きませんでした。

これらの経緯を獣医さんと看護士さんに報告すると
「もしも、最後の治療(強制給餌と注射)をせずに亡くなっていたら
 あの時治療をしていたら助かったかも…と後悔していたと思うよ」
と言われハッとしました。確かにそうかもしれない。
どちらの行動を選択しても、私は後悔していたのだと気づきました。

この看取りをきっかけに、終末期医療の考え方が変わりました。
獣医さんに「機械なら油をさせば動くけど、命は機械ではないから
やれば結果がでるというものではない。」と、よく言われていました。
その意味がとてもわかりました。

ないとの看取り以降、3匹を看取りましたが、この時の経験が大きく
影響しています。治療による効果より本人のストレスが上回るときは
その治療をやめる選択をしています。猫本人の気持ちや、頑張れる力を
十分に確認しながら判断するようになりました。

そうやって経過観察するようになってからは、お別れの日が近づくと
わかるようになりました。特に3日前からは様々なシグナルがあり、
それをキャッチしたら減らせる治療を減らして、穏やかな時間にシフト
しています。
お別れの時間が迫ってきたら、負担にならないように触れながら、
たくさんお話をして、ゆっくりとお別れをしています。

ないととのお別れにはついては後悔が尽きませんが
ないとが命がけで教えてくれた大切なことを、後輩猫達に繋ぎました。
ないとのおかげで、今は穏やかで後悔の少ないお別れが出来ています。
ないとにたくさんの ”ごめんね” と ”ありがとう” を。

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