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自分を成仏させるということ。

わたしはよく、「○歳の自分が成仏した」という表現をする。
誰だか忘れてしまったが、以前ツイッターで見かけた言い回しで、わたしの中ですごくしっくりくる表現だったため、そのまま真似をして使わせてもらっている。

どういうときに使うのかというと、例えば、10歳のときにすごく辛い経験をしたとする。
そのときに、自分の辛いという気持ちを表現できなかったり、周りから気づいてもらえなかったりして、その辛さを消化できないまま、その経験ごともう見ないようにと蓋をしてしまうようなことがある。
するとどうなるかと言うと、大人になって、何かのきっかけでその蓋が開き、すっかり発酵してしまった自分の辛かった気持ちがぶわーっとこぼれてしまう。
改めてその気持ちや経験と向き合い、しっかり消化することで、10歳の頃の自分がしっかり前を向き、納得し、そしてすーっと自分の中からその辛い感情と共に消えるのだ。
この現象?感覚?を、わたしは「○歳の自分が成仏した」と、表現している。

これって健康で幸せな精神状態で生きていく上で、ものすごく大事なことだなと思っている。
なので今日は、わたしの経験と共に、「自分を成仏させること」の大切さについて記したい。

20歳で現れた、5歳のわたし

以前こちらの記事で、わたしの結婚観について書いた。
自分の結婚観が両親の夫婦としての姿を見て形成されたことに触れたのだが、その中でも書かせてもらった。
率直に言うと、わたしは面前DVという心理的虐待を受けた子供であった。

虐待には様々なものがあり、多くの人が児童虐待と聞いて思い浮かぶのは、おそらく、親が子に暴力を振るうとか、衣食住を提供しないとか、そういった内容だろう。
わたし自身も、元々はそんな印象を持っていた。

それが覆ったのが、通っていた短大で学んだ児童心理学だ。
児童虐待の回の講義で、開いた文献の内容や教授の話を聞いて、自分の顔がみるみると青ざめていったことを今でも覚えている。

というのも、”直接子供に手を挙げなかったとしても、親同士が暴力を伴う喧嘩やDVの場面を子供に見せることは、児童への心理的虐待にあたる”という説明を聞き、心当たりがとてもたくさんあったためだ。

父が母に暴力を振るっている光景や、ボロボロの姿でわたしと妹を連れエレベーターに乗る母の姿は、20年以上経った今でも鮮明に覚えている。
しかし不思議なことに、ハタチの頃のわたしは、その光景をすっかりと忘れており、「うちの両親は昔から喧嘩ばかりしていて仲が悪い」というただの事実として処理していた。
両親のDVは日常的に行われていたわけではなかったこと、9歳くらいからはただの激しい口論になっていたことがあるかもしれない。

そのため、上記の説明を聞き、あれ、そういえばあのとき…それにあのときも…と、芋づる式にどんどんと、思い出したくない光景が蘇ってきて、ものすごく気分が悪くなった。
そして涙と過呼吸が止まらなくなり、隣に座っていた友達が何も言わずティッシュをくれて、背中をさすってくれたことでなんとか治まったというわけである。
(上記のような嫌なことを忘れることは防衛機制の一種、”抑圧”という、人間に備わる心理的機能で、嫌な光景が蘇ってきて場所もタイミングも関係なく不安定になったのはPTSDの症状の一つである”フラッシュバック”だったのだろう。ああ、自分にも人間としての心理的な機能が色々と働くのだなと感慨深かった。)

それをきっかけに、わたしの中では両親への不満がどんどんと膨らんでいった。
ただ、そのことさえ除けば、わたしにとっては尊敬できる大切な両親で、感謝していることもたくさんあり、今更になって当時のことを蒸し返すのも違う等と考えてしまい、やり場のない怒りや無念な気持ちに度々襲われた。
自分の気持ちをどのように処理すれば良いのか分からず、結局このときも、わたしは見て見ぬふりをしてまた蓋をしてしまったのである。

その結果、児童虐待という言葉を見聞きしたり、両親が互いの愚痴を聞かせてきたりするたびに、5歳のわたしが恨めしい顔をして現れるようになった。
現れてどうなるかというと、体をビクッとさせてきたり、不安定な気持ちにさせて涙が出てくるようにしてきたり。
そういうときは、やっぱりとにかく見て見ぬふりをして、時間が経って忘れるのを待つしかない。
その繰り返しでなんとかやり過ごしたまま、3年が経った。

爆発した5歳のわたし

現在の夫とのお付き合いがスタートしたのは22歳。
1年程付き合った頃、23歳のときに、事件は起きた。

夫とわたし共通の友人のお母さんが、亡くなったという。
それを聞いたわたしの感情は、「へえ、大変だね。」終わり。
夫を含め、周りの友人たちがこぞってその子に「大丈夫?」とメッセージを送ったり、励ましてあげたいねと何やら遊ぶ会を計画していたりするのを見て、心底気分が悪かった。
いい大人が何言ってるの?くだらない。という感情が消えず、夫にそのようにぽろっとこぼしたら、友達が大変なときになぜそんな酷いことを言うのかと怒られた。

そうしたら。
突然わたしの中で、爆発したのだ。5歳のわたしが。

わたしのときは誰もそんな風に心配してくれなかった。
大丈夫?なんて聞いてくれる人もいなかったし、励ましてくれる人だっていなかった。
わたしのお母さんだって死んじゃうかもしれなかったのに。
ずるいずるい。あの子ばっかりみんなに心配してもらってずるい。
わたしだって怖かったのに。
どうしてわたしのことは誰も心配してくれないの。
大丈夫だよって言ってくれる味方がどうしてわたしにはいないの。

こんなようなことを言いながら、わんわんと子供みたいに泣いた。
驚いた夫は、戸惑いながらもわたしの話を受け止めてくれた。

自分の言葉で話しているのに、5歳のわたしが突然現れて喋っているかのような感覚だった。
「わたしも誰かに心配してもらいたかった。」「大丈夫だよって、誰かに言って欲しかった。」と、改めて口にしたときに、すーっと、なんだかとてもすっきりとした。

ああ、なるほどなと。
自分の感情と向き合うのって、言葉にすることが必要だったのかと。
当時のわたしが、誰にも気持ちを言えなかったことを思い出し、そう思った。

その後も5歳のわたしが20代のわたしをじっと見てくることが度々あった。
思い出しては感情が昂り、その度にしっかりと当時の自分の気持ちや欲求を改めて言葉にしていた。
そうしてついに、わたしは、5歳の頃の辛い記憶が残っていること、だから何というわけではないが、いまだに許せないと思っていることを、両親それぞれに言葉にして伝えた。
20年越しに「ごめんね」と当時のことを謝られ、やっぱり許せんわと思いつつも、ずっとモヤモヤしていた両親への複雑な気持ちがすっきりとした。

わたしはこれまで、両親、特に父親に向かって「それは違うよ」と反論することができずにいた。
不思議なことに、このことを伝えてから、両親との距離感が縮んだのか、遠慮がなくなったのかは分からないが、思ったことが反論でもなんでも、言えるようになった。

この時からすでに3年程経っている。
こうして思い起こして文章にしている今も、目からは涙が出てきた。
しかし、過呼吸になってひっくり返ることもなければ、突然幼児のようになって泣きわめくこともない。
ああ、5歳のわたしは、順調に成仏しているな、でもまだ涙が出るってことは、完全には成仏していないな。
そんな風に思う。

小さなことから大きなことまで

5歳のわたしは、ものすごい辛い経験をしたのに誰にも言えず表現できなかったせいで、それはもうめちゃくちゃでっかい存在になってしまっていた。
しかし、5歳のわたしが現れてくれたおかげで、他のわたしもちょこちょこと現れるようになった。

学校での嫌な思い出。
家族との嫌な思い出。
習い事での嫌な思い出。

5歳のわたしと比べたらありんこみたいに小さいけれど、それでも確かに覚えている、傷ついたり嫌な思いをしたりしたのに、表現できなかった幼いわたしたち。
ふとそんなことを思い出すたびに、あのときこう思ったとか、こうしてほしかったとか、気持ちを言葉にするようにしている。
これがものすごく楽になる。ストレス発散だ。

気持ちをちゃんと言葉にしていて気がついたのだが、大人になってからの辛い経験も同じである。
しっかりと気持ちを表現してそのときに処理したことは後に尾を引かないのだが、辛いのに我慢してしまった経験は、後になって再び思い出され嫌な気持ちになる。
つい先日、23歳の辛かった思い出が蘇り、27歳になって処理したことがある。
煮詰めて煮詰めて後になって頑張って向き合って処理するとかアホくさ!!だったら最初からちゃんと発散する方がいいじゃん!と、思ってしまった。

見て見ぬふりや我慢、辛い気持ちに蓋をすることは、心にとって全然いいことない。ここまで読んでくれたあなたにとっても、きっとそうだ。

だからわたしは、辛いという気持ちを表現すること、そのときそのとき自分を成仏させること、後からでも遅くはないのでしっかり気持ちと向き合うことを、おすすめしたい。

小さな出来事も、大きな出来事も、辛いものは辛いし、傷つくものは傷つく。
「こんな些細なこと」とか思わずに、自分を癒してあげてほしい。
わたしもこのことに気づいたから、27歳のわたしが40歳くらいで喚き散らかさないように、たくさん自分の声を聞くようにしている。

これを読んでくれたあなたも、辛い思い出を抱えるあなたが成仏して、すっきりしますように。

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