嫌われ者の愛した本

 村で一番嫌われ者のその少女は、村の奥の奥にある汚い小屋に、たった一人きりで暮らしていました。伸び放題の髪はあちこちに跳ね、絡まり、汚れ、長い前髪は少女の顔を覆い隠していました。かすかに見える顔は、薄汚れているように見えます。暑い日も寒い日も体に不釣り合いな大きなマントをすっぽり被り、やせているのか太っているのかもよくわからないようでした。

 少女が暮らしている小屋の隣には、村の墓地がありました。汚い小屋とは対照的に、墓地はいつも綺麗でした。草木はきちんと切りそろえられ、季節ごとの花が咲き、その花がそれぞれの墓へと手向けられているのです。

 その墓地へ墓参りにやってくる村人たちのお供え物が、少女の生きる糧でした。少女はそれらをもらう代わりに、墓をきれいに整えているのです。村人たちもまた、少女を忌み嫌いつつも、いつ来ても美しい墓を想い、少女が食べるであろうことを承知で供え物をするのでした。

 そんな少女にも、たった一人だけ友達がいます。おそらく少女と同じ年くらいであろうその少年は、村の子供たちにいじめられていました。目立たないように大人しく本を読んで過ごしていようと思っても、小さな村で暇を持て余す子供たちにはそれが滑稽で、絶好の遊び道具だったのです。少年は静かに本を読める場所を探し求めて、そうしてこの墓地に行きついたのでした。

 二人は多くの時間を一緒に過ごしました。と言っても、少女はそこそこに広い墓地の掃除で忙しいし、少年は本の中の冒険譚に夢中でしたから、多くの会話が交わされるわけではありません。でも、なんとなくただ空間を共有するだけの時間が、一人ぼっちの二人にとっては心地良いものでした。

 文盲の少女に読み書きを教えたのは、その少年でした。その日はいつにも増して静かな一日で、そのせいか少女はふと、少年がいつもかじりついて読んでいるそれに興味を持ったのでした。少女はたどたどしい言葉で、それが何かを尋ねました。少年は嬉しくてこそばゆくて、でも一生懸命本について説明をします。これを読むと、どこへでも好きなところへ行けるんだ、と。いつだってどんな時だって、知らない場所へ連れて行ってくれるんだよ。その言葉に、少女は目を輝かせました。少女は、村の奥の奥にある汚い小屋と、この墓地しか知らなかったのです。

 少女が本を嗜むようになるまで、そう時間はかかりませんでした。少年が思っていたよりもずっと早く、そして思っていたよりもずっと、本好きの少女になりました。少年が持ってきた本を、少女はあっという間に読んでしまいます。そうして、早く次のが読みたいと急かすのでした。少年が本を渡せば渡すほど、少女の表情はどんどん豊かになっていきました。

「ねえ不思議なの。わからないことがわかるようになるほど、わからないことが増えていくのよ」
ある日少女が言いました。
「花の名前も鳥の名前も、遠い国の文化も、それからいろんな気持ちの名前もたくさんいろんなことがわかるようになったわ。でもどうしてもわからないのよ」
「なにがわからないの?」
「私がなぜ村中の人から嫌われていて、そしてこの汚い小屋でたった一人暮らしているのか」

 少年はそのわけを知っていました。しかしそれは、本を愛する彼女にとって、あまりにも物語のない現実でした。つまり、人が人を嫌うのに、大した理由などなかったのです。子供たちが本を読み漁る陰気な少年を滑稽と思うのと同様に、村人たちは小汚い身なりをした孤児の少女を嫌っている、ただそれだけのことでした。でも、少年はそれを伝える勇気も言葉も持ち合わせてはいませんでした。

 少年と少女がそんな会話をしてからあとも、二人はよく一緒に過ごしました。それに、よく会話を交わすようになりました。よく笑うようになった少女は、それと同じくらい悲しい顔をすることが多くなりました。

 こんな悲しそうな顔をさせるくらいなら、本なんて読ませなければよかったと少年は思いました。あの頃、まだ文字を知らず言葉も不自由な少女の、時折見せる小さな笑みが、少年は大好きでした。

 やがて、村中の本を全て読みつくしたころ、かつてみすぼらしかったあの少女の姿はすっかり様変わりしていました。髪を整えることを覚えた彼女の髪は透き通った栗色で、汚れを洗うことを覚えた彼女の肌はあまりに美しくて、薄く光っているようにも見えました。身にまとう服は派手で上等ではなくても、彼女の可憐さを際立たせるには十分でした。そうして、大きな澄んだ青色の目が、じっとかつての少年を見つめているのです。少年もまた、たくましい青年へと成長していました。

「何も読むものが無くなったわ」
「うん」
「もう新しい場所に行くことはできないってことね」
「そうでもないよ」
「どうして?」
「行けばいいんだよ、本当に。ここを出るんだ。……二人で、」

 一瞬の間の後、どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったんだろうね、と笑い出した彼女は、青年がただそれだけのことを伝えるまでにかかった長い長い年月を少しも知りませんでした。

「そういえば、いつも私を知らない場所へ連れて行ってくれるのはあなただったわね」
「どこへだって行けるよ。行きたい場所、どこへでも」

 それから二人は手を取って、期待に胸膨らませ、村を後にしました。誰にも見送られないその後ろ姿は、まるで二人が愛した本の一ページのようでした。

おしまい

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