とある王女の一日①

気持ちのいい朝のことです。16歳の王女は一人部屋で考えていました。この国のため、自分にできることはあるのか、それはそれは深く考えていました。先の大戦の影響で貧富の差が激しいこの国で、全ての人々に幸せに暮らしてほしい、というのが王女の心からの願いでありました。

王女が思案にふけっていると、女中がドレスを持って部屋へやってきました。明日に控える婚礼の儀で着る純白のドレスです。着せられるがままの王女は、まるで人形みたいね、と思いました。生まれた時からどう生きるかを決められ、結婚相手まで親の言う通り。和平のため、隣国の王子に嫁ぐのです。王女はまだ、恋が何かも知りませんでした。

女中が部屋から出て行った後、王女もこっそり部屋を出ました。色鮮やかな城内も、今の王女にはモノクロに見えてなりません。廊下ですれ違う誰もが王女に挨拶をします。しかし、今はそれすら鬱陶しく感じました。みんなが自分ことを「王女様」と呼ぶことがひどく悲しかったのです。王女のことを名前で呼ぶ人は、両親以外に誰もいませんでした。

古く大きなお城には抜け道がたくさんありましたから、王女は誰にも見つからないよう、こっそりとお城の外へと出ることができました。こんなことが出来るのは、今日が最初で最後だろうと思ったのです。夕方までには帰るから心配しないでね、パパ、と心の中で舌を出しました。たった一人で街まで行くのは初めてのことです。王女は嫁ぐ前に、少しでもこの国で何かを見て、そして知りたいと思いました。

おっかなびっくりと王女は歩きました。初めて見る街の市場は活気づいています。着ている服は、王女のそれとはまるで違い、貧相なものではありましたが、王女にはそれがどれも似合っているように思えました。

「お嬢ちゃんこんなところで何しているんだい。道に迷ったなら、家まで案内してやろうか」

体の大きな二人の男がニコニコと笑いながら話しかけてきました。なんて親切な人たちなんでしょう、と王女は思いました。でも今は家まで連れて行かれてはたまったもんじゃありませんから、丁重にお断りをしました。けれども男たちは、王女の腕を強引に掴みました。声を荒げて抵抗しても、力を緩める様子はありません。周囲の人々は誰も、見て見ぬふりをしています。

「やめな!」

と声がして、男たちの顔に石が飛んできました。たまらず手を離したその一瞬のすきに、声の主が王女の手を引き、「こっちだ」と言いました。先ほどとは打って変わって、掴まれている手に嫌な感じがしませんでした。

「ここまでくれば大丈夫かな」

とその青年は言いました。

「そんな高そうな服を着て、市場なんかふらふら歩いちゃダメじゃないか。さっきのやつらはここらじゃ有名な人さらいだ。あのまま捕まっていたら、どうなっていたかわからないよ」

王女は息を整えると「助けてくれてありがとう」と言いました。

「ところで君、名前は?」
「ミアよ」
「僕はフィンだ。よろしく、ミア」

初めて両親以外の人に名前を呼ばれ、ミアはなんだかこそばゆいような気持ちになりました。そしてその気さくそうな青年に、街の案内を頼みました。自分の知らない街の様子を知りたいと言うと、フィンは笑って「君、変わってるね」と言いましたが、快く引き受けてくれました。

フィンは街のあちこちに連れて行ってくれました。それに町の人しか知らない些細なことや、実しやかにささやかれている様々な噂も教えてくれました。広場の石畳には一か所ひびが入っているから避けて歩かないと危ないこと。八百屋の店主は機嫌がいいとおまけをくれること。真夜中の路地裏には女の幽霊がいて、声をかけられても返事をしてはいけないこと。それから、夕暮れ時、川沿いの時計台の下でキスをした恋人たちは永遠に結ばれるらしいということ……。

フィンが「ミア」と名前を呼ぶたびに、ミアの世界が少しずつ色づいていくように感じました。まるでただの16歳の女の子になったみたいね、とミアは思いました。恋人と手を繋いでいるだけで幸せを感じられるような、そんな女の子です。それにミアからすればフィンは、とても自由に生きているようで、憧れるに足る素敵な男の子でした。街中を歩き回っていても、ミアはちっとも疲れませんでした。市場に並ぶ色とりどりの果物や野菜、赤いレンガの小道や街角に咲く黄色い花。それから、隣を歩くフィンの横顔。この景色を全部目に焼き付けておきたいと思ったのです。やがて日が傾いてきたころ、フィンが言いました。

「さあ、他にどこか行きたいところはある?」

ミアは、もう帰らなくちゃ、と答えることが出来ませんでした。もう二度とないこんな素敵な日を、終わらせない方法はないかと考えてしまっていたのです。

「時計台に行きたいわ」

それは絞り出すような小さな声でした。フィンは少し驚いた顔をした後、笑って「わかった」と言いました。時計台へ向かうほんの少しの間、二人は一言も喋りませんでした。ミアは、どうしてか早く打ち続ける心臓の大きな音がフィンに聞こえはしないかと気が気ではありませんでした。

閑散とした川沿いの時計台の下で、水面を眺めるミアの長い髪を、フィンが優しく撫でました。それからゆっくりと、優しい声で、フィンが言いました。

「さあ、王女様。もう帰ったほうがいいんじゃない?」

知っていたのね、とミアは少しびっくりしました。フィンは、自分の国の王女の顔を知らない人はいないよ、と笑っています。確かにそうね、とミアはポツリと言いました。そして、心のどこかでホッとしました。もう少しこの場所にいたら、もう王女ではいられなくなるかもしれない、と思ったのです。

「一人で帰れる?」

とフィンが言いました。

「送って行ってはくれないのね」
「街中が王女様のことを探しているから、帰れるだろう」
「ええ……」
「じゃあ、さよならだ。王女様」
「フィンも、元気でね」

力強い足取りで、王女は時計台を背に一人歩き出しました。何も迷うことはありません。王女として生まれた自分には、自分にしか出来ない果たすべき使命があると、心の底から思っていたのです。もう王女は、今朝のように何も知らない人形ではありませんでした。

城に帰ると、父や母や大臣たちにたくさんのお叱りを受けました。もう二度とこんなことしないわ、と王女は言いました。その様子がなんだか大人びていて、城の人たちは驚きました。

翌日、国中の誰もが祝福する中、王女の婚礼の儀が執り行われました。王女の顔は、それはそれは華やかなものであったと伝えられました。

おしまい

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◆日時◆
4月中毎日22:45頃
◆場所◆
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◆内容◆
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【脚本】たかはしともこ(@tomocolonpost)
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【出演】鳥谷部城(@masakimi_castle)
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