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全ての「死別・死後の世界・魂・亡くなった存在・スピリチュアル」に関わる人が、「こころのケア」まで有能とは限らない(その3)

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プロと言ってても「知識がある・知っている」ことと「ケアできる」事は全く別物

ここで言う「ケアをする」というのは、「相談者さんの人格や考えを尊重して、その人のレジリエンス(回復や乗り越える力)を信頼しながら、自己実現や成長をたすける、寄り添った対応」と言う事についてなわけですが。

中には、相談した相手に「ケアをする・ケアできる」という要素が無かったというケースもります。
プロと言ってても、「知識がある・知っている」ことと「ケアできる」事は全く別物やから、プロと名乗っていても、知識だけがあってケアできない人というのも中にはいるわけです。
(そういう人をリアルに知ってる。誰とは言わん。)

仮に、死別に関する悩みだったとして。
宗教観や経典に書かれてる死後の世界や魂の仕組みなど「知識だけは有る」状態であっても、死別した当事者としての経験が無い。
それは仕方ないとしても、
経験が無くても無いなりに、相手の心情や環境など想像力を働かせようとしない、経験・体験を共感しようと務めない。
そんな状態であると、相手の「これがあったら楽なのに」「この感じがしんどい」は解らない・推し量ることは勿論難しい上、「この話は今のタイミングではNGワードかどうか」って考えることさえ無いのだから、ケアも出来ない上、傷つける言葉が出てきてしまう事はある。
かなり多いケースが、「有名な○○では、△△って考えだから…」っていう、教科書読んだだけのような文句を、相手がどんな状況や場面であっても振りかざして、その結果、相談した人が傷つくパターン。
それはただの「頭良い・勉強してる・すごいでしょ」アピールだけであって、ケアでは無いし、相談した人に寄り添ってはいないですよね…
ましてや、その人のレジリエンス(回復や乗り越える力)を信頼してるでは無いな。

中には「確かに知識はあるけども、実生活に役立てそうなアドバイスを得られなかった」という不満もあるかと思う。
その場合、この人は「具体的・現実的に寄り添う対応」が苦手な人なんだろうな…って思って良いかも。
(根性でどうにかなる系とか、神頼み系とか、色々居るけどね。でも、悩みにこころの不調が絡んでたら、それは根性で解決することでは無いから、モヤって当然というか)

あんまり宜しくないケースとして「相談した相手に無い知識や経験のことを質問したか?逆ギレされた」という経験を持つ相談者さんもいて、そうして相談する側が自己否定に入っちゃう事もある。
(その歳で云々とか、一方的に決めつけたりね…)
別に質問したって良いんだよ。
生まれた環境・育った環境・見えてる世界が万人違う以上、解らないことは起きて当然なんだし。
(なんで質問されて逆ギレすんのか、そっちの方が意味わからん…)

相談するときには、「知識のプロを求めているのか?寄り添ったケアできるプロを求めているのか?」…って事を考えられると、ほんとは良いんだけどね…
(っても、相談する時って、そこまでこころに余裕ないよね…汗)
出来れば、相談する前に「自分は今、何が悩んでる、迷ってる、困ってる、大変…etc.」を、紙に書き出すことをお勧めします。
それだけでも、自分のニーズが解るから、何を誰に相談すべきかわかりやすいし、損はないと思いますよ。

貴方がダメとか悪いとかでは無く、相談した相手が悪かったケースというのも勿論ある。

色々内容をお伺いすると、中には、その余所で言われて傷ついた事と言うのが「グリーフ(死別の悲しみ)やこころの不調の知識以前に、これ言われてどう受け取るか想像力働かせたら、NGワードのオンパレードやん!」…と、突っ込まざるを得ないことが最近多いです。
占い師・霊能者・スピリチュアル実践者って、役割としては導いたり促す感じかと思うんですが、死別の悲しみに対しては、「ズバリ言うわよ」的な、占い師・霊能者・スピリチュアル実践者ならではの導いたり促す言い方は、グリーフの回復プロセスの観点上、可能な限り出すべきでは無いです。
(出しても程度やさじ加減がある)
そのため、私の交信やセッションはアドバイスする事に関しては基本、提案型で色々進行します。
(言うべきかどうかのさじ加減も、悲嘆度スクリーニングの結果踏まえたり…)
「○○すべき・しなければダメ」みたいな押し付けがましい対応は、死別の悲しみに対しては特にだけど、こころの不調も絡み合ってみんな悩んでる今の時代的にも、もうその対応は違うかなとも思うんですよね…。

ただ…それ以前のそれ以前でね…。
アドバイスに対して相談者さんがご自身の事情を話すと、最悪な場合は逆ギレまがいな感じで、相談者さんの人格否定や脅し文句までしてくるってのも中には居り…
(「○○だと不幸になる・故人が浮かばれない」「△△までに云々しないと…」とかに近いニュアンス…
嘘のようで本当に有ったそうで…唖然)
この場合は、明らかにそもそも相談した相手が悪かった。
完全に「これ言ったら相談者さんがどう受け取るか?」という想像力の欠如の延長線上の話だよな…と。
その相手は、多分、地に足が着いてない、グラウンディング出来てないんですよね。
(意志がブレててセンタリングできてないもある)
だから、相談者さんのレジリエンス(回復や乗り越える力)をも信頼出来てなくて、逆ギレまがいな言葉を言ってくる。

更に、言うとおりに出来ない事に逆ギレするって「その仕事をやってる動機って自分の思い通りに動かしたいから?」って思ったりもします。
やってることカルトやん…

言われたことを実践するしないを決めるのは、相談した側の権利」というのを心のどっかに留めておいてほしいかな…。
あくまで、占い師・霊能者・スピリチュアル実践者のアドバイスは、「ヒント」レベルの話だし、言われたことだけが解決方法とは限らない、それをやらなかったからと言って完全不幸になる事も勿論無い。
(それでいちいち不幸になってたら、人生無理ゲー以外の何ものでも…)

光次元の存在(神さんやアセンデッドマスター、大切な亡くなった存在など…)は、どんな人に対しても、個性や得意・不得意・弱さもまるっと受け入れている上で、「じゃあ、別のやり方で望みを現実化するにはどうサポートしようかなぁ~」って考えてくれてます。
そんな光次元の存在の価値観に沿って考えてみたとき、
ルーティンが苦手な人に、例えば「○○回ありがとうございますを言って開運」というやり方が合わない…と言う事は当然あります。
(実際私が、ADHD故にルーティン苦手)
でも、それで開運出来ないわけでは無いですし、人格否定や脅し文句はナンセンスかと。
苦手なら、自分に合ったやり方を見つけて実践したら良いのであって、それを一緒に考えるという事が、光次元の存在の価値観にも沿っている、スピリチュアル実践者や占いにおける「寄り添った対応」なのかなと私は思います。
何にせよ、別のやり方を見つけたら良いのであって、貴方が完全にダメという事ではないはずです。

誰だって、物質世界で学びの最中である以上、「完璧」というのはそもそも無理だから…

完璧であろうとして、結果知ったかぶりをしたり、こころを傷つけてしまう人がいる。
だけど、そもそも、人間である以上「完璧」というのは激ムズの領域。
それもあってか、スピリチュアルって「餅は餅屋」の業界だったりする

私みたいに故人交信やこころの不調に詳しい人も居れば、過去生や宇宙意識に詳しい人もいるし、家や環境の波動調整に詳しい人も居て。
対して、詳しくない分野があるのもまた然り。そういう感じだから
「個性が集まって世界を作っていく=ワンネス」の考え方や、「弱さも強みも出せる」「一緒に解決していくこと」含めて『自分らしい生き方を実践していく』って事が大事じゃないかなと。
相談する相手は、そこに適っているかどうかを考えて決められると良いかなと思います。
(変にカリスマ性ばかり求めると、洗脳されたり、後々、色々良くない流れに入りやすいしさ)

競争では無くて、助け合いの共同創造だったり、想像力を働かせて寄り添って解決したり。
それが一般社会にも浸透してったら良いなと願う次第だし、
生きづらさを抱えて生きてきた自分としても、そういう世界が欲しいと願いながら日々実践して行く所存です。

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