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世の中は「すいかの『す』」で溢れている

「すいかの「す」だ!」娘さんは知っている文字を見つけては嬉しそうに指を指し、教えてくれる。
彼女にとってはそれらは、知り合いや友達と街なかですれ違うような喜びなのだ。

「こんにちは!」と声をかけるように、「知っている」と確認し、「ごきげんよう」と言うかのように「これはすいか、からす」と思考を広げていく。

僕たち大人は、もう「す」を見ても同じように面白い気持ちになることはない。
文字を見ても、何を見ても。

でも、様々なことを学び知ることで同じような感動を日常で味わうことができる。

娘さんの絵本を見て覚えた雲の種類。
「おぼろ雲・いわし雲・ひつじ雲・・・」空を見て「あ、これはいわし雲だな」と思えば「いわし雲だよ!」と言いたくなる。
フィボナッチ数列を知れば、ひまわりを見ても、松ぼっくりを見てもそこに新しい発見と確認が楽しい。
なんとなく森の木々の中を歩くよりも、それらが何の木か、なんの葉っぱなのかを知りそこにどんな生き物が住んでいるのかまで知れば、目には見えないところで営まれている生き物たちの世界へと思いをはせることができる。
平等院鳳凰堂のできた由来を学んでから訪れれば、そこにある人の歴史や思惑を感じながら見ることができるし、建築物としての素晴らしさや知識を得てから見れば柱の一本一本に美しさを感じることができるかもしれない。
電車好きが何時間も飽きることなく電車を眺め、写真を取り続けるのは、その電車との出会いが一期一会であると思うからだし、それだけの知識があるからであろう。
文字の書体を覚えれば、街にあふれる文字も「〇〇書体」と思うようになる。
ルールを知って、戦略を知っているからこそスポーツは見ていて面白い。

道を歩いていて、世の中を眺めていて、それだけで面白いと思うことなんてずっとなかった。
それこそ子どもの頃に感じていたワクワクした気持ちや好奇心はいつしか「当たり前」という思いの中に埋もれていった。

でも、娘さんを見ていてこんなにも彼女にとって世界が面白い理由がわかった。

見たことがないものだらけだから、世界が面白いのではない。
世の中のすべてに対していま彼女は「知り合い」が増えてきているから面白いのだ。
目にするものと、たくさん「こんにちは」を繰り返しているのだ。

世の中は「すいかの『す』」で溢れている。
ただの「す」なんて、実はひとつもない。
見たもの、眺めたものが自分の学びや知識とつながる時、世界はたくさんの「知り合い」と「こんにちは」で満たされていくのかもしれない。

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