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家族を守るために、ぼくは無力であることをまずは認める。

家族が大変な状況にあるとき。自分にできることはなんなのか考える。

だけど、できることなんて驚くほどなにもない。大変さの肩代わりも、辛さを分かち合うこともできない。

だから、まずはそこからスタートしようと思う。

「自分は無力なんだ」

この立ち位置に一度しっかりと足を踏み込まなければどこにも向かうことはできない。

自分にできるのは、家族の「大変さ」という荷物を持ってあげることではない。
できるのは、新たな荷物を渡さないことくらいだ。

自分は無力なんだ、という前提に立たないと「できることが、なにかあるはず」と勘違いしてしまう。その結果、同じように大変さに飲み込まれたり、同じように苦しい気持ちだけが感染してしまったりする。
「君の風邪。ぼくにうつして、治しなよ」なんてことは現実にはあり得ないのだ。
お互い風邪を引くのが関の山。

自分は無力なんだ、と認めるのはなかなか大変だ。それが家族のように身近な存在になるほど認められなくなる。
「話を聞いてあげるとか、できるじゃん」と思うかもしれない。それは、もちろんできる。だけど、「聴く」のと「言わせる」のはずいぶん違う。
話を聴いてあげようとしすぎて、無理やり言葉を引きずり出してしまうことがある。
実際、大昔にそうされて関係を壊してしまった事もあった。

大変なときほど、「聴く」ためには「待つ」必要がある。


だから、できるのはこれ以上余計な荷物を持たせないことなんだと思う。

そのためには、自分の心身を正常に保っておく必要がある。

無力なぼくがやらなくちゃいけないこと。
それは、ぼく自身の心と身体をできるだけ正常に保つこと。


娘が産まれたばかりのころ。
まったく同じことを夫婦で話した。
「ぼくたちが寝不足で体力がなくなったら、この子を守れない」と。

傍に大変な人がいると、自分も同じように大変な状態になったほうがいい気がしてしまう。それで「お互いたいへんだよね」と共感しあいたくなる。
だけどそうじゃない。どちらかが辛く大変なときほど、傍は元気いっぱいでないといけないんだ。

さあ、元気だして寝るぞ!

※※※

今日も見に来てくれてありがとうございました。
元気であることは、すべての資本です。
子どもが産まれてそれを強く感じるようになりました。
ぜひ、明日もまた見に来てください。



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