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noteは楽しみ8割、仕事が2割がぼくにはちょうどいい。

毎日noteを更新続けて、もうすぐ300日。
1年の継続が見えてきたなぁと、シミジミ思います。

毎晩21時になると「さあ、何を書こうかな」と考えはじめます。明確に書くことがあるわけじゃなければ、書いては消して、を30分くらい続けて、ようやくなんとなく書きはじめます。

そんな感じなので、大したことは書いていません。取り立てて誰かの役に立つ記事でもないし、すごい情報発信でもない。

それじゃあ、なぜ書き続けるのかなと考えてみると、noteプロデューサーの徳力基彦さんのこの記事に書いてあることが、まさにピッタリでした。

自分が楽しくなるため。
自分が少し賢くなるため。
自分の記憶を残すため。

これが根底にあるんだよなと、共感しました。

内省のために文章を書く、とnoteでも書いてきましたが、続けるための動機は自分の内側に向かっています。だから、書くことが面白くなってきているんだなと思うのです。


そうは言っても、ときおりPV数やフォロワー数やスキ数なんかに目移りして、嬉しくなったりガッカリしたりもしてしまう。

これでいいのかな? とか、もっと伸ばすためにはどうしたらいいのかな? とか考えて手が止まってしまうことも。

ヤマシタさんの記事にもあるのですが、

noteを毎日書き続ければ認められる...なんてことは、ない。

noteを毎日書き続けたら仕事が来る...人もいる。でも、ほとんどの人は毎日書き続けても残念ながら仕事はこない。

良いものは発見されて認められやすくなっただけの話で、良いものを作れない限りは誰にも見つけてもらえないし、認められる日もくる事はない。

まさにこれで、「認められること」を動機にすえてしまうとなかなか辛くなってしまいそう。

誰にも読まれなくてもいい、と開き直ってしまうのも違うけど、続けることが楽しくなくなったのなら辞めてもいいんじゃないかなとは思っています。

楽しさのためには、ある程度は読まれて欲しいし、誰かとのコミュニケーションもとりたい。
noteをきっかけに話が広がったり、声をかけてもらえたりするのも嬉しい。
それって、単純にPV数では測れなくて、届けたい人にちゃんと届いてるかどうかということも大切なことなんだと思うのです。


ぼくの場合は、自分のためのメモが8割。仕事を深めるためが2割くらい。

いまのところ、このくらいの”ゆるさ”が自分にはちょうどよさげです。

※※※

今日も見に来てくれてありがとうございました。
文章を書き続けることのよさは、日常の解像度が少し上がることかもしれません。
そうしないと、とても毎日なんて書けないから。
日常の解像度が少し上がることで、娘の小さな言動にも意識的になれるのは、思いがけないメリットでした。

ぜひ、明日もまた見に来てください。


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