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明るい不登校。

今日はこちらに参加した。

ホームスクーリングをテーマに親としての立場、幼少期に実践していた当事者、そしてホームスクーリングとは少し違うが当事者としてのお子さんと親御さん。

それぞれの立場から、"特殊"な教育環境についてたくさんのお話を伺うことができた。

今日はこの場に参加して、これまで不登校にについての本などを読む中で感じていたモヤモヤが、なぜだったのか霧が晴れました。
モヤモヤがなんだったのか。そしてなぜそれが晴れたのかを書いてみます。

※※※

僕自身は子どもの頃、不登校になる勇気を持てず、ホームスクーリングだのフリースクールだのという存在も知らず、這うようにして学校へ通っていた。

そんな経緯から、いま"不登校"とは何なのかについて色々と調べている。

不登校に対しての立場は大きく2つに分かれる。
ひとつは、「学校への復帰」を"解決"とする立場。
もうひとつは、「学校へは行かなくてもいいよ」とする立場。

雑に分けてしまったが、学校復帰派かそれ以外と分かれる。

「学校復帰派」はフリースクールなどはあくまでも応急処置であり、最終的に学校復帰を目指すべきであるという考え方のようだ。

それに対し「それ以外派」もこれまた雑に分ければ2つに分かれる。
ホームスクーリング、フリースクールなど多様な学びを学校へ通うのと同じ選択肢の一つとして見ている穏健派と、学校や現在の公教育へのアンチをとなえる過激派だ。


これは立場によって意見が分かれる。
不登校支援を行っている人たちは、「それ以外派(主には穏健派)」のスタンスを取る人が多い。
だが、一部の不登校支援を行ってる人、教員、親族などは「学校復帰派」が多いように見える。

面白いのは親族で、ほとんど直接関係もなく、一緒に住んでもいないのに学校へ行かないことへの拒絶と不安を、当事者親子に向かってマシンガンのように遠くから射撃してくる。

そして、意見が分かれるのが「保護者」。つまり両親だ。
家庭によって違うのはもちろん、夫婦それぞれが違う意見のこともある。

学校復帰派か、それ以外派かの是非は価値観によって変わるだろう。


いずれにせよ色々と調べていると、モヤモヤイライラすることがある。最初は自分が「それ以外派」だから、「学校復帰派」の意見を見るとイライラするのかと思っていた。
でも、どうやらそうでもないみたいだった。
今日のセミナーに参加し、それぞれの話を聞きながら気がついた。

モヤモヤイライラしていたのは、子どもを"普通"にすることをゴールにしている場合だった。
つまり不登校という現象を、社会からの脱落とみなして、どんな形にせよ一般的な道の上に乗せてあげなくちゃというスタンスに違和感を覚えていたのだ。

これは学校復帰派のほとんどがそのスタンスだし、たとえそれ以外派であってもよく見かける気がする。

今日の話の中を安心して聞いていられたのは、お話をしてくれた皆が「普通に戻そう」ではなくて「その子のいい所を伸ばそう」という前提に、当たり前のように立っていたからだった。

できないこと、苦手なことをどうにか平均レベルに上げたいなんてことじゃなくて、とにかくその子の得意を引っぱり上げてあげたい。

そんな価値観の中で話をしていた。

「この子はジッと座っていられない」「イジメられてる」「ついていけない科目がある」それぞれ大変な課題かもしれないが、きっと必ずしも解決すべき課題ではない。

座っていられるようになるよりも、好きな体制でのびのび学べる環境を用意してあげるほうが、その子の力は発揮できるだろう。

イジメの関係性を解決するより、イジメのない環境で改めて再チャレンジした方が、本人は前向きな気持ちになれるかもしれない。

ついていけない科目を10点アップさせるより、得意な科目をどんどん進めたほうが学ぶことを楽しく感じるだろう。

不登校というサインを子どもが出しているなら。これまで以上にそのことに意識的にならないといけないんじゃないだろうか。
「普通」の型にはまらなかったものを、無理やり「普通」の型にハメようとしない。

その気持ちは、これまでの自分のOSを入れ替えるようなことかもしれない。でも、入れ替えなければ子どもの持つ可能性の芽を摘みとってしまうかもしれないのだ。



では、また明日。

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