守るべき存在こそが人を守ってくれる。
いつか見た映画のワンシーン。
小さな子どもを乗せた車が事故を起こし、子どもだけが奇跡的に生き残る。
その日から、この子は孤児になったのだ。
むかしなら、サラリと通りすぎてしまっていたようなシーン。
だけどいまは、息苦しくて、何気なく通りすぎてしまえないようになった。
ぼくには6歳になる娘がいる。
彼女は何よりも大切な存在だ。
だから、彼女のためにもぼくや妻は心も身体も元気でないといけない。
まだまだ、娘にとって親という存在は大きな拠り所だから。
彼女はまだ守られる存在であって、なにかを守る存在にはなっていない。
彼女がなにかを守る存在になるまでは、ぼくは娘の側に寄り添っていたいのだ。
なにかを守るというのは、生きていく上で大きな力になる。辛いことや絶望することがあっても、「守らねばならない」という気持ちは、自分が生きる理由や活力になる。
自分が守られるばかりの存在だった子どもの頃。
辛く嫌なことがあると、人生の全てから逃げ出したくなった。、
「自分なんかいなくたって、世界はなにも変わらない」
そんな無力感や空虚感に、息が苦しくなった。
でも、空き地に住み着いた野良猫に餌をあげるようになってから、ぼくがいなくなったらこの子はごはんが食べられなくなっちゃう、と思うようになった。
障害を抱えた友人の、家と学校の送り迎えをするようになってから、ぼくがないないと友人は家までちゃんと帰れなくなっちゃう、と思うようになった。
別にぼくがいなくなっても、彼らは彼らなりにやっていっただろう。
それでも、小さなぼくにとってはじめて守るべき存在ができたことは、絶望ばかりだった子ども時代の大きな支えになった。
守るべき存在に、ぼくは守られていたのだ。
今ぼくは。
生きたいと切実に願っている。
健康でいたいと、事故などで大きな怪我をしたくないと心の奥底から望んでいる。
だから無茶な運転はしないし、信号も踏切も無理しない。
体調が悪くなったら、すぐに休む。
食べるものにも睡眠にも気をつけるし、運動もする。
娘が産まれる前だけど、10年以上前。妻との結婚を考えるようになってからタバコも辞めた。
それでも、病気になることもあるし、防げない事故に巻き込まれることもあるかもしれない。
あるかもしれないけれど、自分にできる精一杯でリスクを下げている。
守るべき存在ができたことで、ぼくはかつてないほどに、自分の心と身体を大切に思うようになった。
ぼくは娘を守りながら、とてもとても娘に守られているんだな。
では、また明日。
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