夫婦の対話は”過程が9割”
SNSで「どうして夫婦でいつも意見が同じになるんですか?」と聞かれました。
当然ですが、いつもいつも同じ意見になるわけではありません。
ぼくの意見が採用になることも、妻が採用になることもあります。他にも全然想定してなかった案が出てくることもあるし、みんなそれぞれ妥協することだってあるわけです。
それじゃあ、なぜいつも意見が噛み合っているように見えるのか。それは、対話に理由があります。
兼ねてから「夫婦の対話は論破しちゃダメ!」と思っていますが、最近は論破はもとより、「夫婦の対話は”過程”が9割」だなと実感しています。
ぼくは元々”綱引き対話”だった!?
「外食で、何を食べに行く?」という小さなことから、「子どもの学校どうする?」という大きなことまで。
お互いで意見を出し合いながら対話をする機会は多いです。
このとき、一同が「王将で餃子食べたい!!」と満場一致すればべつに対話は必要ありません。でも「餃子」「パスタ」「寿司」と意見が割れてしまったら、その瞬間から対話が必要になるわけです。
元々ぼくは、自分の意見は目指すべきゴールだと思っていました。
「餃子」がゴールなのに、対話の末に「パスタ」になってしまったら、それはある意味での負けを意味していたのです。
べつに夕食がなんであろうと、それくらいはいいのですが、身近なことでも大きな決断はたくさんあります。
結婚式に何人招待するか、子どもの名前はどうするか、引越し先は? 家事の分担は? 幼稚園はどこにする? お金の使い方や資産構築は? 子どもの進学は?
これだってごく一部で、日々の生活の中で大小たくさんの決定事項がある。
だから夕食の「パスタ」は譲れても、「子どもの進学」についての意見は譲れないかもしれない。
たとえば、堅実な学歴を手にすることができるであろう私立への受験か。子どもの好奇心や探究心を育んでくれるであろうオルタナティブスクールか。お金のかからない公立か。
こうした意見の相違は、「パスタ」ほど簡単に譲ることはできないと思います。
ぼくにとって、自分の意見がゴールだったころ。
対話は自分の意見を通すためのプレゼンテーションでした。論理的に説明するときもあれば、感情的に押し切ろうとすることもあった。
とにかく、それは相手を説得し、自分と同じ意見に価値を見出してもらうことだったのです。
それは、まるで綱引きのようなイメージでした。
お互いが自分の方に向かって、綱を引き合っている。いかに自分のほうに結論を近づけるかに必死だったのです。
自分の意見は”出発点”
でも妻との対話を重ねていく中で、自分の意見はいわばスタート地点だと思うようになりました。自分の意見はゴールではない、というのが大切だなと思っています。
お互いが持っている違う意見をテーブルに並べて「さあ、どうしようか?」というのが対話だなと。
このとき、意識的に結論は未定だと思うようにしています。
もちろん、譲りたくない部分もあるし、相手に「それは違う」と思うこともある。でもそれらは、ゴールではなくてゴールに向かうための材料なのです。
たとえば、進学について。
家計的に私立やオルタナティブスクールは厳しい
基礎学習よりも、子どもの個性を大切にしてあげるところに入れてあげたい
通学圏内に、理想的な学校が見当たらない
これらは、あくまでも材料であり、条件ではないと考えることが大切だと思っています。
対話を通して何をするかというと、これらに新たな材料を加えていくことです。
節約したり、副業したり、仕事を変えたりして家計にプラスを出せないかな?
私立やオルタナティブや公立に実際子どもを連れて体験させてみたら?
働き方を変えたら時間を作ることできるかな?
引っ越しだってできなくはない?
もっと、色んな学校のことをそもそも調べてみない?
できることと、できないことが出てくると思うし、どうにもならないこともあるでしょう。でも、相手の意見を頭ごなしに否定したり、綱引きしたりするのではなくて。家族にとってベストと思えるゴールを探しながら、一緒に歩いていく。
それが、対話なのだと思うのです。
結果、どちらかの意見が採用になることも、全然違った答えがでることもある。
それでも、対話を重ねながら一緒に結論に向かって歩いたその過程は、お互いの信頼関係を育んでくれるし、この人と一緒に対話ができてよかったと思うことができる。
そのときに。最初に自分が描いていたゴールなんて、所詮スタート地点に過ぎなかったのだと気がつくのです。
ぼくは、常に対話を求めてくる妻の勢いに押されながら対話を繰り返し、ようやくそのことに気がついた気がしています。
まだ、自分の意見に引っ張りたくなってしまうこともあるし、引っ張ろうとすることだってある。
だけど、特に大事なことについては、絶対に綱引き対話にならないように意識します。綱引きになりそうになったら、対話に戻るように気をつけています。
夫婦の対話は過程が9割。
そう思えたら、自分の意見を通そうとするのではなくて、建設的な議論ができそうじゃないですか?
自分の意見が通ろうと、通らなかろうと。
そこへたどり着くためのプロセスにすでに十分な価値があるのですから。
では、また明日。
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