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育児の辛さは孤立が連れてくる。育児の楽しさは連帯が連れてくる。

父親の育児へのコミットメントが大切であることは、もはや言わずもがなです。
それでも、まだまだ父親の育児参加が「お遊び」であるというような見方もあります(悲しすぎる現実。。。)

そんな中、境野今日子さんが「育児の楽しさPR」への懸念を示されました。


書かれている意見に100%同意しつつ、ただ「育児は大変だ」というイメージだけを先行させるのではなくもう少し、協力しあいながら育児することについて掘り下げて考えてみたいと思います。


▷ 育児は楽しくも、辛くもない

育児の辛さは”孤立”が連れてくる。育児の楽しさは”連帯”が連れてくる。

育児そのものは楽しいことでも、辛いことでもないと思っています。
ぼくの周りにも、育児をものすごく楽しんでいる人もいれば、辛く苦しい中でがんばっている人もいます。

ぼく自身は育児をものすごく楽しんでいます。noteにも度々書いているように娘が生まれたことで価値観、生き方、働き方、家族のあり方、すべてが変わりました。

でもそれは、妻と一緒に育児できているからということが何よりも大きい。

ちょうど一年前の春。妻が仕事で2ヶ月間単身赴任をしていた時期があります。この期間は当時4歳の娘と2人きり。完全にワンオペ状態でした。
この時期を楽しく乗り越えられたのは、それまで妻とともに家事育児を切り盛りしてきた経験があったからです。でも、それでもやっぱり必死でした。

もしも娘が体調を崩したり、仕事でトラブルがあったりしたら「楽しかった」なんて言えない状況になったと思います。何事もなかったことは、ただのラッキーに過ぎません。


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育児には「辛い」も「楽しい」も両方あります。それがどちらに傾くか、傾いている時間が長いかが育児に対する全体的な印象を決定づけるのではないでしょうか。

そしてそれを左右する一番の要になるのが「親のゆとり」だと思うのです。

子育てを独りでなくコミットメントの中ですることができれば、その事で生まれたゆとりの中に子どもへの愛おしさが詰め込まれる。

Twitterでも投稿したように、親自身にゆとりがなければ子育ての「楽しい」が入ってくるスペースは生まれません。
ゆとりは、心のゆとり、身体のゆとり、時間のゆとりなど様々なことが考えられます。

そして、孤立は親からゆとりを奪っていきます。
ちょっと厳しい言い方になりますが、もしも父親が育児をしていなかったとしたなら。それは母親からゆとりを奪い、育児を楽しんだり、子どもを愛おしく思う気持ちを奪っていることと言えるかもしれません。


▷ ゆとりを作ることで、直接育児していない人たちも育児をしていることになる

育児にコミットメントしない父親を責めるのは簡単です。
父親の育児参加を訴える母親に対して「フェミニスト!」と糾弾することも簡単です。

でも、育児は親だけでなく社会のすべての人が緩やかに関係し合いながら行われています。
ぼくは実際に娘が生まれてから、そのことを実感するようになりました。

親の「ゆとり」が育児の辛さや楽しさを左右する。

そう考えたときに、社会が親の「ゆとり」を奪っていくことがまだまだ多いのです。

■ 育休取得を阻む会社

たとえばこちらの記事にあるように、会社が男性の育休取得を阻むケースというのは残念ながらまだあるようです。
もしもこれで男性が育休を取得できず、その妻が育児をするためのゆとりを失っていけば、一番危険にさらされるのは誰でしょうか。

それは赤ちゃんです。

「育児は親の責任だから」と言いながら「親が育児をするためのゆとり」を奪っているのはとても矛盾していると思うのです。


■ なにげない舌打ちが親を追い詰める

子育てしている人と直接知り合いでなくても、何気ない行為が親からゆとりを奪うことはたくさんあります。

あまりの精神疲労に髪が全部真っ白になるのではないかと思い始めた頃、電車が動き始めました。「よかった! 次の駅で降りて娘を落ち着かせよう……!!」そう思った矢先のこと。

「チッ」という舌打ちが背面から聞こえました。振り返ると、ビジネススーツを着込んだ中年男性がこっちを睨めつけていました。目が合うと、もう一度「チッ」と舌打ちをしました。

普段なら、笑顔でスルーする案件です(心の中で悪態をつきながら😇)。でもこの時は、連日の娘の激しい夜泣きで精神的にとても参っていました。そんな、ただでさえ虫の息だった心に、この舌打ちが見事に止めを刺してくれました。まさに、泣きっ面に蜂。じわっと涙が込み上げてくるのを感じましたが、必死に堪えました。

子連れで電車に乗って舌打ちをされてしまう。
スーパーでグズる子どもをあやしていたら、舌打ちをされる。
大人のように空気を読んで、大人しくその場所に合わせてジッとしているなんてあるわけがないのが子どもです。

いつでも、どこでも空気を読まずに周りに迷惑をかけることも、親に気まずい思いをさせることもあります。そんなのは、極々当たり前のできごとです。

でも子どもがそんな風になったときに、誰よりも申し訳なく思い、気まずく思い、周囲の人達に誤りたい気持ちでいるのは他ならない親自身です。

ほとんどの親は「子どもがやったことだから仕方ないよね。多めにみてくれるのが当たり前だよね」とは思っていません。ものすごく申し訳ない気持ちになるのです。

スーパーで。公園で。道端で。見かけませんか?

「静かにしなさい!」「人に迷惑をかけちゃだめ!」「大人しく歩いて!」と子どもを叱っている親を。
あれって、躾である以上に周りへの気まずさが声のボリュームを2倍くらいにしているんじゃないかと思うんです。

親は、そのくらい気まずい気持ちでいっぱいです。

そこに、追い打ちをかけるような舌打ちが聞こえてきたら。
ただでさえ、ゴリゴリにすり減ったゆとりは、跡形もなく吹き飛んでしまうでしょう。

「子育ては社会でしていくものだ」

なんて言うと。

「自分には子どもなんかいないのだから関係ない」
「自分の子どもでもないのに、子育てに協力なんかできない」

と思うかも知れません。
でも、ぼくたち親はべつに一緒に子育てをして欲しいなんて思っていないのです。

子どもが泣いてしまうかもしれない。
子どもが突然走り出してしまうかもしれない。
子どもが大きな声をあげてしまうかもしれない。
子どもがよそ見をして、ぶつかって来てしまうかもしれない。

そうしたことを「そういうこともあるよね」と受け入れてもらえるだけで十分だったりします。
できたら笑顔でにっこり微笑んでくれたら心強いですが、笑顔までいかなくても不愉快を全開にして舌打ちなどをしないくらいの受容をしてもらえたらありがたいのです。

それだけで、親のゆとりはだいぶ維持されるのですから。


▷ 育児や介護だけじゃなくて共助の社会であることを忘れてはいけない

「子育て世帯ばかりが優遇されるなんてずるい」

そう思う人もいるかもしれません。
でも、もともと社会は共助の関係の中で成り立っていることも多いと思うのです。

自分の親や兄妹が結婚したり、倒れたりしたら誰かが仕事を代わってくれたりしませんか?
自分の体調が悪いとき、トラブルに巻き込まれたとき、誰かに助けられることはありませんか?
旅行に行くのに大きなトランクを持ち運んでいて、周りがそっとスペースを空けてくれたら嬉しくないですか? 貧血でフラフラしているときに、横の人に舌打ちされて押しのけられたら絶望した気持ちになりませんか?

育児だけでなく、介護や病気、怪我。こうしたことって人生におけるエマージェンシーであるという共通点があります。

自分はいつだって、助ける側であると同時に、助けられる側でもあるのです。


▷ 幼児虐待のニュースに怒りや悲しみを覚えるのなら

幼児虐待のニュースを見ると悲しい気持ちになります。
でも決して他人事ではありません。それは、ぼくには子どもがいるからという意味だけでなく、たくさんの子育てしている親たちとゆるやかに関わり、すれ違っているからです。

直接子どもを育てていなくてもできること。
それは親のわずかしかない”ゆとり”を奪わないようすることです。

子どもへの関わりが深い人のゆとりほど、奪ってはいけません。
なぜなら、子どもへ直接の影響が及んでしまうから。

母親が一番子どもと関わっているのなら、父親は母親のゆとりをつくることを忘れてはいけない。育児の最大の目的は、自分の成長でも楽しみでもなくて子どもを安心安全の中で育てることです。
そのためのガソリンとなるのが、ゆとりで、ゆとりがたくさんあるほどに育児は楽しく愛おしいものになっていくのです。
ゆとりがなければ、育児は辛く苦しい責務になってしまうかもしれません。

育児中の部下がいるのなら、その人が持っている残りわずかなゆとりを、奪うようなことはしないでください。
その部下が幼児虐待をしたときに。あなたが奪ったゆとりが虐待への歯車のひとつを担ってしまうことになるかもしれません。
他人の子どものことなんて関係ないなんて、本当に思えるでしょうか。
育休取得に協力する。時短勤務がどうやったらできるか一緒に考える。仕事と育児の両立に悩んでいるなら相談にのってみる。
それらをすることが、その部下の子どもを育てるいい環境づくりに寄与すると思うのです。

子連れの親子に舌打ちをしないでください。
あなたの舌打ちによって受けたストレスや怒りは、あなたには返ってきません。そのかわり、子どもに跳ね返る可能性があります。

最終的に辛さのすべてを受け止めることになってしまうのは、もっとも無力な子どもです。
「わたしは子どもに直接の危害を加えてない」ということではないのです。

ぼくたちはみんな。間接的には子育ての当事者です。


▷ 育児の辛さは孤立が連れてくる。育児の楽しさは連帯が連れてくる。

育児は、孤立するほどに辛くなります。
たくさんの人と連帯しながらするほど、楽しく、愛おしくなります。

それは”ゆとり”というスペースがなければ、子育てから感じる楽しさも、子どもへの愛おしさも入り込む余地がなくなってしまうからです。

独りで担う育児は、目まぐるしく大変かもしれない。
でもふたりで助け合う育児は、ずっと楽に、楽しく、愛おしくなる。
周りの人たちが気にかけてくれたり、優しく接してくれたら「この子のおかげで、こんなにハッピーになれてる!」と思うようになる。

育児は、共同ですることではじめて楽しくなるのです。


では、また明日。

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