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運が良い時と悪い時の違いは?運が好転すると起こる変化

最近、運が良いと感じることが良くある。
運が良いと楽に生きられるのでありがたい。
運が良いと余裕も生まれる。


私の運は昔から良かったわけではない。
どちらかといえば、運は悪い方で、ずっと運の悪さに悩まされてきた。
運が悪いことに慣れ、人生そんなものかと思って諦めていた。


しかし、人生の折返し地点を迎えつつある今、運気が好転した。
運が良いと言っても大げさなことではなく、とても些細な違い。



例えば、やった分だけ努力が成果になるだとか、何をするにしてもタイミングが良くなるだとか。
でもこの違いが人生をとても楽にしてくれている。


しかし、同時に、生まれてからずっとこれまで運が良かったなら、運の悪い人の気持ちがわからないままだったのではないかと思うことがある。
悪い時期があったからこそ、些細な運の良さに喜べるのではないかとも。


衣食足りて礼節を知るとか、貧すれば鈍すると言う言葉があるように、余裕がないと人を気遣うことができない。
そんなの当然だと思う。


ただ、この言葉には疑問がある。
例えば、ずっと恵まれている人は、本当につらい思いをしている人を真に気遣うことができるのかということだ。
恵まれすぎていても鈍するのでは?


例えば努力不足だと簡単に言ってくる人。
運が悪いとどんなに努力しても実を結ばないことがある。



これは、運が良い時期と悪い時期を経験した人にしかわからないと思う。
同じことをやっていても、成果につながるときとそうでないときが本当にある。


数年前、同じだけ、いや、むしろあの頃のほうが努力していたかもしれない。
しかし、1年やっても2年やっても全く成果に繋がらなかった。



あれから時が経ち、やっていることは大して変わらないが、今ではやればやるだけ成果に繋がる。
何年も努力し続けてるからようやく成果に繋がったわけでは無い。
何なら2、3日やっただけで成果が出てきたとわかるくらい、はっきりと違いがある。


その違いは何なのか。
運気でないなら何なのか。


人生は120年で一周するので、120年で考えると人は皆、平等にできている。
だけど、120年も生きられる人はいないから、そこに不平等が生まれると昔誰かに聞いたことがある。


それを心の支えに、いつか私の運も良くなるんだと運が悪いながらも踏ん張ってきた。
そして今、それが本当なのではと信じられるくらいに運が良くなりつつある。


先日、野外で行うイベントに娘が参加することになっていた。
当日の天気予報は曇のち雨。
今は梅雨。
その予報も仕方がない。


しかし、そのイベントの前日、突然大雨が降った。
ずっと曇予報だったのにもかかわらず、突然大雨に変わった。


イベント前日の夜、次の日の予報は曇に変わっていた。
そして朝には曇りのち晴れへと変わっていた。
娘の出番は夕方から。
見事な青空のもと、イベントを楽しむことができたのは、本当に偶然だったのだろうか。


運が良いと、人生がとても楽に進む。
何なら大変なことを経験しないままスムーズに進んでしまうから、戸惑っている人を見ると、何でスムーズに進まないんだろうと不思議に感じてしまうほど。


私は運が悪い時を経ているので、きっと今はそういうタイミングなんだなと想像できる。
しかし、それを経験していなかったら、悪気なくさっさと進めばいいじゃんと言ってしまうかもしれない。


それに気付けるようになったことは、運が悪かったことで得られた学びだと思う。
最も運が好転しなかったなら、今も卑屈になっていたとは思うが。


運気の良し悪しはおそらく平等だ。
先に来るか後に来るかの違いだけ。
だからずっと運が悪いと嘆いてる人も悲しまないで欲しい。



私のように人生の折返し地点を過ぎてから、好転するかもしれないから。
コツンと悪運が底打ちする音が聞こえたら、そこからは本当に楽に進むから。
その時が来るのを楽しみにしていて欲しいと思う。



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