見出し画像

2度目の目覚め

15年前わたしは
沖縄を暮らすように旅をして
ご縁のある土地で
目覚めた。

この時代に
まだこんな時空の違う場所が
あったなんて。

自然とあまりに当たり前に
祈りがある島で。

お絵描き道具と
お菓子づくり道具を持って。

島に上陸して
私は絵を描き
お菓子や料理を作り
遊んだ。

それは息をするのとおんなじくらい
わたしにとって必要なアイテムで。

そしてそのツールをもとに
たくさんのご縁のある仲間に
出会い
語り
共に食べて
いろんなことを
分かち合う時間だった。

元の家族よりも
私をわたし以上に理解してくれて
巻き込みまくって笑
それは台風のようで🌀

でも、そんなまんま
裸のままでも
安心して集えるそんな
愛に溢れる仲間たちに出会えた。

ここで生きることの流れもあった。

でもわたしはここでしか
暮らせないのでは
意味がない。

ここでも、生きられるし
どこでも生きられる!

そうでなければそれは
沖縄かぶれみたいになって
ただの逃げになる気がして
その道を辞めた。

そう思って一度内地に帰ることにした。

そこからまぁ、よくがんばったなぁ。
人のご縁で新しい世界のお仕事に
全力投球したし。

関わる人も変わって行った。

心身共に使うハードなお仕事は
繊細で感じやすいわたしにはなかなかで。
メンテナンスは必須だった。
信頼のおけるアロマのトリートメントは
その名前を超えるほどの
調整をいれるものがあったから。
だから
それでもなんとかやってこれたのだろう。

とにかくわたしは基本
チャレンジャーで
新しいジャンルに飛び込み体験し
必要なものはインストールして
それなりにこなしていく力もあった。

それはプライベートにおいても。笑
2度目の結婚なんてのもやってみることに。

もう年齢は40歳を越えて
子どももできたら欲しかった。
年齢も年齢だから
私の願いは半分くらいの気持ちだった。

もし、私にも、子どもが近くにいてくれたら。
そんな経験ができたら。
絶対ではないけど出来たら。。。

そう、ラストのチャンスだと思っていた。

神さまはなんだかんだ
わたしの願いを数々叶えてくれている。
わたしにとって必要なことは。

たくさんの経験をして。
わたしはここまでやってきた。
その間には
開いていた目は少しずつ
閉じる必要があった。

ここまでやってくるには
あまりに無垢なあのまんまでは
生きられなかった。

目をつむってうすぼんやりと
輪郭はハッキリせず
適度にごまかして
本来の姿はハッキリあまりさせず
目立たないように。

そうしないとなんか怖くて
危険に思えて
きっと理解してもらえない。
うまく説明出来ない。
変な人と思われたくない。
怪しい人に思われたくない。

あんなにはっきりしていたわたしは
その輪郭をぼやかすしかなかった。

ぼやかして目もはっきり開けずに
ピンともずらして。

じゃないとあまりに
この世界は生きにくかった。
きつかった。
こうやって生きてきただけでも
花丸。

ハッキリ目覚めてはいけなかった。
はっきり目覚めたら生きてはいけなかった。

ブレてずらして
寝ぼけまなこでいることが安全だった。

でも、もうそれも限界だ。

ブレまくり、ズレて
ピンともズレて
わたしから離れて
わかないふりして
自分にウソついてたら
あちこち限界が来る。
そんなの当たり前だ。

限度ってものがあるから。
身体は正直。
心に反したものは受け入れられないものね。

いま、目をつぶって
よくわかんない。
そうやっている周りの人たちを見ながら

過去のわたしを思い出している。
ほんの数ヶ月前のわたし。

そう、そうだよね。
わかる。
だってそうしなきゃ生きにくいもんね。
そうだったよね。と

でも、だからこそ
わたしはいま思う。

一度目覚めたのを
再度閉じてあれから
15年経ったいま

2度目目覚めさせてもらったのだから。
もう目は閉じない。

このタイミングで
目覚めたことを
その意味をわたしはここから
大切に体現していく。

目をつぶって
ズレて生きて行かなくても

安心して自分の目を開いて
生きていけるということを

それも本気で遊びながら
楽しみながら
ハートがわくわくキャッチしたものを
信じて歩んでいくことで
出来るということを。

誰にもない自分にしかない
オリジナルを大事にわたしらしく

表現の可能性の花を
咲かせることが出来るということを。

私を実験台にして
遊び楽しみながら。

新しい道を歩いていこう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?