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現代小説訳「今昔物語」【究極の二者択一】巻十九第二十七話 洪水に流され愛児を捨てて母を助けた法師のこと 19−27

 今も昔も二者択一という究極の選択に理由の説明責任を負わせるのは野暮というものでございます。ちょっとばかり、とある法師の話にお付き合いください。 

 いつもの淀川は、それはそれは穏やかなもので、川べりに沿うように家が点在してまして、私の家もそんな風に川のすぐ横の柳の木の下に、這うようにおったてていたもんです。法師という職業柄、食うに困るということもなく、かといって豪邸を建てるというわけでもなく、母と妻と五歳になる真魚まおと、四人でつつましく暮らしていました。母と私で子育てをしながら、これと言って大きな不満もなく、たいそうな望みをもって焦燥することもなく、穏やかにそこに居を構えていたのです。
 その日も雨が降ってはいましたが、明け方には少し小降りになっていまして、久しぶりにの木の下に出てみましたら淀川はまったくの泥水でして、雀がやたら鳴いておりました。北山の方を見ますと、どこからが雲でどこからが山なのかわからないくらい真っ黒な塊がどっしりと北山を飲み込んでいました。今にして思えば、あれは雨雲で、北山では土砂降りだったのでしょう。けれどその時は小降りになったのを幸いと思い、ほっとした心地でいたのを覚えています。あふれそうなくらいだった川の水位もすっと下がっていまして、これで何とか落ち着くだろうと、朝食の準備に取り掛かったのです。
 そのうち、川の方からごろごろ、ごっとんごっとんと、石のぶつかり合うのような音がしてきました。なんかこうごっとんごっとんと、お腹まで響くような音です。地面からも聞こえてくるような、不気味な音で子供も起きだして泣いておりました。
 これはどうしたのかと表に出てみますと、どこからが川でどこからが道だったかわからないくらい水があふれています。それでも雨は小降りでしたので、そのうち水も引くだろうと思ってそのまま家で過ごしていたのです。
 それからはあっという間のことでした。
 「なんか土臭くないかい?」
 母がつぶやくように言ったのをきっかけにするかのように、水が家の中まで入って参りました。
 「お父、水が入ってきたよ」
 五歳の息子がぺちゃぺちゃと叩いておりました。
 「これはどうしたものかねえ」
 もう一度川の様子を見ようとしたその時には、水かさはどんどん高くなっていて、足首も隠れるくらいでした。
 「真魚、むこうに行ってろ」
 少しでも高いところに行かせようと息子の背を押したとき、獣がうなるような大きな音がして、足をすくわれたと思った時には何か大きな力で体ごと横殴りにもっていかれたのです。
 川に流されたと気づくまで上も下もわからず目も見えず、思うように動かない手足をただばたばたともがくうちにたまたま頭が水面に出て息ができたのでした。
 けれども川の流れは凄まじく、顔を出しているのもやっとです。家を探しましたけれども、どこが家だったかもわかりません。ずっと向こうに家の前にあったような見慣れた柳の木が、てっぺんだけ見えていたような気もします。
 「お母! 真魚!」
 水が口に入るのも構わず叫んでも獣のような水のうなりにかき消され、返事もありません。苦労して体をひねると、流れのずっと先に息子の顔が、汚泥の隙間からちらちらと見えます。幼名《おさなな》に真魚とつけた加護のお陰か、流木にしがみつくようにして何とか口を水面から上げています。しかしそれが精一杯の様子です。間に合うようにと神仏に祈りを託す間もないままに、どうにかこうにか息子のもとにたどり着き、さあ、岸へ向かおうとした時に、流れに抗う母の姿が見えました。息子はぐったりとしていて、二人を同時に抱えて泳ぐことはできなさそうです。
 私は息子の襟首を流木にひっかけて老いた母の元へと濁流をかきわけたのです。
 
 母は水を飲んで腹が膨れていましたので、人にお願いして介抱していましたら、妻が帰ってきました。
「まったくあんたって人は真珠の玉のようにかわいがっていた息子を助けないで、こんな枯れ木のようなばばあを助けるなんて、開いた口もふさがらないよ」
「本当にお前の言うことはもっともだよ。」
 そう、いつだって妻の言うことは現実的で、反論の余地がなく、正しいのです。しかし、濁流に流され、生死の境をまたいできた私の口から、流れ出る水のようにとうとうと言葉が出てきたのです。
「しかしだね。こんな風に今にも死にそうな母親でも、子どもの身代わりにはできないよ。生きてさえいれば、子どもはまた作れるが、この世に生を受けた恩なる母親はこの人だけなのだからね。だいたい、洪水が起きたのだって、家が流されたのだって、全ては仏様の思し召しだよ。息子が流されたのもそう。人生は思い通りにならないものじゃあないか。すべてはうつり変わる世の中の様々な出来事の一つ一つ、人一人の力でどうのこうのできるものではないよ。息子が死んだのなら、まだ命ある私達の繋がりの中で新たな命を育くめばよいではないか。」
 そう言っては見たものの、妻は大声で泣くばかりでまるで聞く耳を持ちませんでした。泣く妻と腹を膨らませた母の間で、私は悄然と座っておりましたら、懇意にしている檀家の一人が走ってまいりました。
「お坊様! 子どもさんが、真魚ちゃんが引き上げられたってよ!」
 さらに下流で息子は助けられたというのです。突然の報せに妻と二人で駆けつけると、息子は藁敷の上で無表情に座っておりました。真魚は妻を見ると途端に泣き出し、駆け寄りました。
 こうして家は流されましたが、私達家族は全員助かったのです。これも仏様の思し召しであろうかと、成長する息子を見る度に思うのであります。

【ちょこと後付】

 老いた母の命か、幼い子の命か…こんな選択を迫られたら、現代の私たちの多くは子を選ぶのではないでしょうか。母や自分より子の命。それが自然です。では、平安時代は違ったのかというと、次のような和歌もあります。

銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
(銀も金も宝石も、どうしてそれらより優れている子ども(という宝)に及ぶだろうか。 いや及ぶまい)

 どんな宝より子は大切だと言っています。やはり、子が大切なのは平安時代も同じだったのでしょう。
 母を助けることを仏の思し召しとするこの話には、物語を通して長幼の序を人々に教える働きがあったのだと考えられます。

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