見出し画像

現代小説訳「今昔物語」【恋人は女盗賊首領?その伍(終わる)】巻二十九第三話之伍 人に知られぬ女盗人のこと 29-3-5

前回までのお話

人に知られぬ女盗人のこと その伍

 太朗が家に帰ると、湯が沸かしてあり、豪華な食事が用意してあった。沙金は何も聞かなかったし、太朗も何も話さなかった。このような事をするのが七、八回は繰り返された。ある時には太刀を持って家の中に押し入らせ、ある時には弓矢を持って外で待ち伏せをした。天井裏に槍をもって忍び込み、寝ている男の胸を突いたこともあった。その度に太朗はうまく立ち回った。

 ある時、沙金が鍵を太朗に渡した。
「これを持って、六角小路と壬生大路の辻に行って。そこに蔵が幾つかあるけど、戸にこの印が付いている蔵を開けるの。そこにあるものはどれでも取ってきていいから、荷造りをして、朱雀大路の方に行けば車貸しが沢山いるから、それを呼んで積んで持ってきて」
太朗は、教えられた通りに行ってみると、本当に幾つかの蔵があった。印を確認して蔵を開けると、布や金銀、欲しい物が皆この蔵にはあった。言われた通りに車に積んで持って帰り、思うままに取って使使った。
こうして、一年、二年と時は過ぎた。

 ところが、ある日、沙金が、泣いていた。
「どうして、泣いているのだ?」
「したくはないんだけどね、お別れしなくちゃならなくなった」
 太朗は驚いて尋ねた。
「どうして、今さらそのようなことを言う?」
「この儚い世の中では、そのような事があるものさ」
 からかうように笑って言う。泣いていたと思ったのも気の所為だったろうか。太朗は、まあ、ただ冗談で言っているだけだろうと思って、
「ちょっとした出かけてくる」
 と言った。すると、沙金は、当たり前のようにお供の者と馬、服などを用意して仕度を整えて出掛けさた。
 
 出掛けた先は古い友の家で、二、三日滞在する予定だった。供も馬もその夜はそこに留めていたが、気付いた時にはいなくなっていた。「明日帰るつもりなのに、これはどういうことだ」と探し回ったが、見つけることが出来なかった。友人に馬を借りて急いで帰ってみると、あの家は跡形もなかった。
 蔵があった所に行って見たが、そこも更地になっていた。人に聞こうにも、近所付き合いがあったわけでもなく、尋ねるべき人もない。その時になって初めて、沙金が言っていたことがつながった。

 数カ月後、太朗は独りで盗みに入った。以前、黒装束の仲間と共に入ったことのある屋敷ならば、どこの戸から入ればいいか分かっているし、金目のものがどこに隠してあるかだいたい分かる。しかし、それが二度三度と重ねる内に、警備を厳重にしていた屋敷に当たり、あっけなく捕らえられた。
 尋問され、ありのままに一部始終を白状した調書がこうして残っている。

【ちょこと後付】

 この話は芥川龍之介「偸盗《ちゅうとう》」の元ネタの一つです。
 
 芥川は「偸盗」を駄作だと評価しています。
 曰く、「本屋に並んでるのを見るのもイヤだ!」
 曰く、「羽目をハズしたらあんなものも書いてしまうのさ」
 曰く、「ああ、もう書き直したい!!」

「偸盗をほめて頂いたのは、完く意外でした 僕は あれが嫌で嫌で、本屋の店に中央公論のあるのさへ気なつて仕方がないのです。」(林原耕三宛書簡4・6)。
「偸盗の続篇はね もつと波瀾重畳だよ それだけ重畳恐縮してゐる次第だ(略)僕が羽目をはづすとかう云ふものを書くと云ふ参考位にはなるだらう」(松岡譲宛書簡4・26)。
「『偸盗』なるものは到底あのままで本にする勇気はなしその上改作をこの九月に発表する雑誌まできまつてゐるのですからとても新しい本の中へは入れられません」(中根駒十郎宛書簡5・27)。
「偸盗はとても書き直せ切れないから今年一ぱい延期して九月は新しいものを二つ出さうと思つてゐる」(松岡譲宛書簡7・26)。
「『偸盗』の改作にとりかヽりたいと思ひます」(小島政二郎宛書簡1920・4・26)。

 実際に駄作かどうかはさておき、罠にハマった盗賊たちが脱出するために死闘を繰り広げる場面の描写は秀逸です。特に、野犬に囲まれた弟のもとに兄が盗んだ馬に乗って駆けつける場面は次のようにとても格調高い。

「月にほのめいた両京二十七坊の夜の底から、かまびすしい犬の声を圧してはるかに戞々かつかつたる馬蹄ばていの音が、風のように空へあがり始めた。」

 でもこの時は助けないんですよね。命からがら逃げながら、兄弟の感情が女を廻り愛憎がひっくり返って憎愛になったかと思ったら愛愛に変わる不思議な話です。ちょっと長いですが,今昔物語好きなら一読をお勧めします。

青空文庫を縦書き無料で えあ草紙「偸盗」はこちら

【参考文献】

新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)

原文はこちら

この話を原文に忠実に現代語訳したものはこちら