見出し画像

現代小説訳「今昔物語」【算博士VS陰陽師】巻二十四第十八話 陰陽の術を以て人を殺すこと 24-18

 今も昔も、才能ある同僚の出世を妬む話はよく聞くものでございます。或いは、若手の台頭を古参が邪魔をするという話も。ここに登場しますは将来を嘱望される算博士。行く行くは頭に、と言われておりましたが…

 九々之数行くくのすうこうを使ってもこの大算剰除たいさんじょうじょは解けそうにもなかった。偶数の法印と奇数の法印が組み合わされており、割り切れないのだ。これでは算博士の名が泣くではないかと小槻茂助おづきもちすけは思った。このまま引き下がるわけにはいかぬ。
 しかし、どうにか算木を組み合わせようとしたとき、ぴしりぴしりと算木が次々に縦に割れた。手から零れ落ちる算木の欠片を慌てて空でつかもうとしたが、割れてするどく尖った木片が手のひらに刺さり激痛が走る。
 いつもそこで目が覚めた。びっしょりと汗をかいている。同じ夢、同じ時刻、同じ天井。夢の内容はおぼろげだが、九という数だけが残る。茂助は机の上の算木を確かめた。もちろん割れてなどいない。一本、横に置き、縦に丁の字になるように一本添える。
「ロク」
と声に出して言ってみる。数の概念としての六が捕まえられない。ただ、音声としてのロクだけがふわふわと空を舞う。さらに縦にもう一本足して「シチ」と言ってみても同じである。
 次に茂助は団栗どんぐりを横に並べていく。イチ、ニぃ、サン、シぃ、と七個並べる。そして、確かに七だ、と思う。当たり前ではないか。ところが、算木を縦にもう一本足して「ハチ」と言ってみてもやはり八という気がしない。さらに一本足して「ク」と言ってみたが、九という数の概念が立ち上がるどころか、「苦」が思い浮かんでしまう。
 先に横に置いた算木を下にずらして四本と重ねる。卌《しゅう》、四十のことだ。これは問題ない。縦の算木を一本引いて卅の形を作り「そう」と言う。三十のことである。
 どうやっても解けない大算剰除たいさんじょうじょの夢を見た日の朝はいつもこうだ。どうも一から九の数の概念がつかまえられない。団栗のような物の数としてはぱっと分かるのだが、思考の上で算をしようとすると、数の概念が捉えられなくなる。
 ところが、それが巳の刻ほどになると一変する。あらゆる数が、考えるまでもなく概念としてそこに有るかのように見える。算術を施さなくても解が分かる。そんな日が数日続く。
 かくして、まだ若干ながら茂助は、行く末は主計寮かずえりょう(税を監査する機関)においてかみすけにもなるだろうと言われていた。
 そんなある日、算木が真っ黒になる夢を見た。しかもぴくりとも動かない。動かそうとあれこれ工夫してみてもまるで効果がない。懇意にしている陰陽師に相談したところ、物忌ものいみをしなさいと言われた。
「ここに慎むべき日を書き出しておきました。ここに書いてある日は物忌をして固く門を閉ざし、決して人に会ってはなりません」

「物忌をしている日は、逆に言えば呪いにかかる星廻りの日であるということ。その日にしゅを合わせれば必ずしるしがあるはずです」
 黒い法衣の陰陽師の声はその言葉の内容にしては明るく軽く、人を呪い殺す相談をしていることを忘れそうになった。
「相手は小槻の息子、茂助。護る陰陽師は川人かわひと。いいでしょう、やりましょう」
 簡単に言う。どうやら簡単に事が運びそうだと喜んでいると、
「おそらく茂助が物忌をする日は弥明後日やのあさってからでしょう。その日に私を連れてその家にお出かけになり、彼をお呼びください。もちろん、物忌中ですから門は開けないでしょう。ただ、いらえさえあれば十分です」と言う。
「私も行かねばならんのですか?」と聞くと、きょとんとした顔で、
「依代|《よりしろ》がなければ呪が集まりませぬよ」とつまならそうに言う。

 当日、陰陽師を連れて茂助の屋敷に行った。若いのに大きな屋敷である。いらいらしてきたのでどんどんと激しめに門を叩く。すると下人が、「どなたでございますか?」と門の向こうから問うてきた。名を名乗って、
「茂助殿に申し上げたいことがあって参りました。物忌とは存じますが、門を細目に開けてお入れください」と言って取り次がせる。しばらくすると、
「門を開けお入れするなど、無理なことです。世の中で我が身を大事に思わない者がいましょうか。門を開けて入れることはできません。すぐにお引取りください」と下人づてに返事を伝えられた。こちらはわざわざ陰陽師を連れているのに、帰るわけにもいかない。
「それでは門はお開けくださらずとも、門の向こうまでお越しください。直接、お話しましょう」と伝えさせた。すると、
「何の用です?」
と茂助の声がする。しかも門の横の引き戸から顔を差し出してきた。頷いて合図を送ると、陰陽師は門の前に立て掛けてあった忌み札を蹴倒し、何か白い神のようなものを茂助の顔に投げつけた。ぎゃ、と蛙の鳴くような声を出して茂助はすぐに引っ込んだ。すぐに陰陽師は様々に印を組んで呪を唱え始める。それから一時の間、陰陽師は術を施し続けた。
 気づくと、生暖かい変な匂いの風が門から吹いている。術をかけている間は持っておくようにと陰陽師から渡された人形の紙を慌てて胸の前にかざす。すると、風に吹かれて水に濡れたようにくしゃくしゃになってしまった。
 
 その夜から、茂助は耐え難い頭痛を訴え始めた。三日後、将来を期待されていた算博士小槻茂助は、もがき苦しみ、死んだ。
 茂助が死んだ日、陰陽師に殺害を依頼した男も主計寮に現れなかった。その後、男の姿を見た者はなく、行方の記録も残っていない。
 さらに数年後、黒装束の陰陽師は主計頭の役についた。官位は従四位上と記録されている。

ちょこと後付

 いやあ、怖いですね、陰陽師が本意気で殺しにかかるなんて。

「陰陽師、其の音を聞き、顔を見て、死すべき態を為べき限り咀ひつ。」
(陰陽師はその声を聞き、顔を見て、ありとあらゆる死に至る呪詛を、秘術を尽くして行いました。)

 依頼されたからと言って、ここまでしますかね。陰陽師はこれから後に賀茂家と安倍家の2家による独占世襲になりますから、政治的な争いに絡んで、ライバル家系の将来有望な陰陽師の卵をつぶした話なのかもしれません。
 ここから先は完全に余談ですが、安倍家と言えば安倍晴明ですが、その兄弟子は賀茂保憲という名前です。マンガ「呪術廻戦」のラスボスである|羂索(けんじゃく)は、加茂憲倫であったこともあると描かれていますが、この賀茂家をモチーフにしていると考えられます。

※依頼主のその後については宇治拾遺物語 現代語訳ブログも参考にさせていただきました。感謝です。

この話の原文に忠実な現代語訳はこちら
巻二十四第十八話 陰陽の術で人を殺す話