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人の人生を『失敗だ』と決めつけるな。


お前の人生失敗だったんじゃないのか?』

昨日の朝、父から言われた一言である。テレビを見ながら僕の顔なんて見ようともせずに、言ったその一言に腹が立った。なんて無責任で、冷たい言葉なんだろうか。多分相手が傷つくとか、悲しみとかの気持ちの思いやりが僕の父は出来ない人なんだと思う。何も考えず、ただ自分の正しいと思う事なら全て言ってしまうんだと思う。

実家に帰って早々にこの発言なので、流石にイラついてしまった。でも仕方ないと同時に思ってしまった。自分が選んだ進路を否定されても、進むと決めた代償なのだ。こう言う発言が来るだろうと予測出来ていたけど、やっぱり少し悲しい。きっと僕の中で少し期待があったのかもしれない。そうか、頑張れよと一言言って欲しかった。父親らしい言葉で見送って欲しかったけど、どうやら僕の期待は叶わない。

結局、親だろうと兄弟だろうと血の繋がりを持っていたとしても分かり合える訳ではない。偶々、今の両親の元に僕が生まれてしまった偶然的な存在でしかない。成人式をしたところで大人になれないのと同じで、子供を産んだとしても大人にはなれない。

父はきっと何も知らない。世界で起きている事は全てテレビを見れば知った気になっている。メディアがどれだけ誇張した情報を届けているかなんて想像もしていない。だから、その一言を言った時に僕の顔なんて見ようともしないのだろう。目の前に傷ついている人間がいるのに、目を向けようともしない。


誰のおかげで飯や学校に行けると思っているんだと言うけれど、子供は親の経済的な要素に依存しなければならない。それが義務であり、子供を下に見て、育ててやっている立場なのだと独裁的な権威を振るうのは間違っていると思う。例え自分の子であったとしても他人であり、意思を持ち、自分の考えた生き方をする権利がある。

今までの僕は親の言いなりでなんとなく過ごしてしまったけど、自分の意思で高校を辞めてバイトしたり、海外に行ったり、大学で会った人達や、友人との思い出を『失敗だ』なんて言って否定はしたくはない。僕はどう言われても自分の人生の舵を取る。失敗してもその責任を取る覚悟を固めたい。一人の人間として生きていたい。僕の人生は失敗かもしれないけど、少なくともそれを決めるのは僕自身だ。他人ではない。


人の人生を『失敗だ』と決めつけるな。




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