制服を捨てて、『自分』を持て。


高校を1年で辞めた。僕にとって青春はただグレーな日常でしかなかった。

京都の出町柳から大阪の梅田まで行く京阪列車に乗っていたら、憂鬱そうな自分の顔が車窓に映っていて昔のことをふと思い出した。通り過ぎる駅に次の列車を待つ高校生と、自分を勝手に重ねてしまったのだ。僕は卒業する前に制服を捨てて、生きる決意をした。16歳の冬のことである。


朝が苦手だった。中学は実家から徒歩10分ほどの場所にあったので、多少寝坊しても朝食を抜いて走って行けば余裕で間に合っていた。いつも思っていたのだが、制服が無ければもっと早く学校に着けると思っていた。制服のネクタイを着ける度に、窮屈さと閉塞感をを感じた。中学を卒業してもブレザーだったので、そのネガティブな思いは引き継ぐことになるのだが、それに加えて、満員電車に毎日乗る生活もスクールバスも満員状態だったのでいつも具合が悪かった。学校に着いた瞬間に息を吸って、教室に向かう。教室でも心が休まることは一度もなかった。人との距離が近いし、前も後ろも人が居て監視されているような気分になった。中学の時も気になっていたが、高校ではもっと過剰に反応するようになってしまった。


最終的には成績が落ち続け、学校も休むことが増えた。もう限界だった。両親とは何度も喧嘩したし、分かってほしいと訴えても理解されることもなく、部屋に閉じこもっていた。父に無理やり車に乗せられて、高校に連れて行かれたこともあったし、母と担任と自分で三者面談もしたが再び高校に通いたいと思うことは一度もなかった。母との帰り道、大きなため息をついていたのを覚えている。この怒りやもどかしさや虚しさは誰にも理解されることはないだろうと思い、学校から帰ると制服を脱いでクローゼットの一番奥にしまった。もう着ることはないだろうと確信した。高校で出来た友人との思い出も、両親に対する期待も高卒という学歴も制服と一緒にしまった。


それからしばらくして、バイトを始めた。週4の朝9時から13時まで。たまに長引くけど気にならなかったし、大人と一緒に働いている方が気が楽だった。パートのおばちゃんの性格がキツくて半年ほどで辞めてしまったけど。

学校に行っていた時は毎朝7時起きだったので少し時間にも気持ちにも余裕が出来た。初めてのバイトだったので新鮮だったのとお金を稼ぐことって大変だなぁと漠然と思っていた。今思えば、初めてなことだらけだった。初めてのバイト代で一眼レフのカメラを買って今でも使っている。近所や遠くまで景色を取りに行くようになった。季節ごとに色んな花があることを知った。猫の集会所も見つけたし、知らない駅に降りては喫茶店に行ったり、公園のベンチで昼間から甘い缶コーヒー飲んで休憩していた。時間に余裕が出来たことで本屋に行くようにもなった。毎日コンビニに行っては漫画を読んでいたら普段読む機会がなかった漫画を好きになった。一人旅もするようになったし、旅をすることが好きになった。お金さえあれば遠くまで行けるんだと当たり前の事だけど再確認した。

高校にいた頃の閉塞感は無くなったけど、地元の駅で自分が捨てた制服の高校生を見る度に何とも言えない物悲しさがあった。後悔も未練もない。でも、寂しかったし何だか虚しかった。普通に卒業していたら、両親と分かり合うことが出来ただろうか。喜んでくれただろうか。今では知る由もない。


今年の三月、大学を卒業する。高認を取って二年遅れで大学生になった。最初はお金が無くて、バイトをしては辞めてを繰り返していた。海外留学にも行ったし、やりたい事もあの時作れなかった友人も沢山出来た。社交的とまでは言えないけど、人と関わることが出来たのが嬉しかった。高校を辞めて、制服を捨てて自由にはなったけど、社会は厳しいものだと知った。でも、それでも今も後悔はしていない。あの日の自分が間違っていたなんて言わない。今の自分は過去の自分を認めないと存在しないと思う。親との関係もしんどさを感じるものの良い距離感を築けていると思う。一人暮らしを始めてからやっと両親の偉大さや苦労を知った。『ありがとう』が言えるようになった。


当たり前が当たり前じゃなくなって、初めて気付く事が多い。辛いことも、嬉しいことも、自分の弱さも知った。



もしあの日の制服を着た憂鬱そうな自分に会うことが出来るのなら、制服なんて捨てて、『自分』を持てと言いたい。厳しいし、苦しいかもしれないけど君が選んだ道には少なくとも『制服』は必要なかったと言うだろう。







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