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何者でもない自分には、『深夜徘徊』で見るコンビニの灯りは眩しすぎた。


何年前の春だったか。冬の寒さと梅の匂いが入り混じった匂いがしていたのを覚えている。僕のその時の趣味は深夜徘徊だった。


最近サンデーで連載している『よふかしのうた』という漫画が好きで毎週楽しみに読んでいる。不登校の中学生の男の子と吸血鬼の女の子の話。主人公の男の子は学校でのストレスから不眠症気味になり夜の徘徊を始める。そこで吸血鬼の女の子と会って、夜更かしならではの話やその子や様々な人と吸血鬼とコミュニケーションをする事で、自分のアイデンティティや吸血鬼の女の子との好意を深めていくと言うのが物語の本質だと思う。


僕は高校を辞めるまで漫画を余り読まなかった。漫画を買うことも無かったし、ブックオフに行けば立ち読み出来るので暇つぶしの時だけ見るものだった。それが、高校を辞めてバイトを始める前の『何者でもない』期間の時が一番漫画を読んでいた気がする。

なんせやる事が無い。膨大な時間が川のように流れては消費するだけで、何も成し遂げていない時だった。あの時の自分は本当に迷い続けている時で、高校を辞めてしまった事で高校や家族という居場所を失ってしまったのだ。家に居れば気不味い気持ちになり、父から怒られ、母からはもう知らないからと言われて放置されていた。自己責任だからしかたない。家はもはや自分の居場所として機能していないので、外に出るしかなかった。

好奇心は猫をも殺すというが、自分にとって自由気ままな猫でさえ暇は人や猫を殺すには充分過ぎる毒なのだろう。現代の社会では圧倒的に便利な暮らしになった分、暇を持て余す事が増えた。信号待ちをしている時や電車に乗っている中でも皆んな忙しくスマホの画面に夢中になっている。僕が小学生の頃は読書やただぼーっと電車の外を見る人たちが居たのに、今では見かけなくなってしまった。恐竜のように絶滅してしまったのだろうか。

毎日毎日同じことの繰り返し。寝て、起きて、食べて、ネットの世界に逃げ込んでのループ。こんなの生活も飽きが来るもので、僕は深夜徘徊を趣味にし始めた。

深夜なら誰かと会うこともない。道が広く感じ、公園で遊ぶ子供や通学途中の学生も居ない。誰も居ない。街にただ一人、浮遊しているような気分が不思議と落ち着いた。街全体が暗く、蛍光灯の光が爛々と意味もなく照らしている。公園でブランコを漕いだり、コンビニに行ったり、朝になるまで過ごしたこともあった。

特にコンビニの漫画には助けられた気がする。漫画が好きになったのは、深夜徘徊の影響だろう。何が連載されていたかは忘れたが、毎日通っては全ての週刊誌を読み漁っていく。面白いものがこんなにあるのかと驚いた。僕の中では漫画は小学生の時に読んだコロコロコミックやジャンプのナルトぐらいしか見た事が無かったので新鮮だった。重厚なストーリーに目が釘付けになったり、ネットで感想を言い合う掲示板を見たり好きな漫画を通して仲間意識が湧いて、孤独が癒された。

コンビニは凄い。なんせ24時間稼働して、いつも誰かが居る。いつ来るか分からない来訪者の為に、明日の分のパンを準備をしたり、レジの前で立ち続ける。自分よりよっぽど世の中の役に立っていた。不甲斐なくて漫画を一通り読み終わると、外に出て息を吸う。春が来る前の、梅の甘い匂いと冬の背筋が伸びるようなつんとした匂いが冷気と共に広がる。

振り返るとコンビニの光が目に入って、痛みすら感じた。

近くの自販機で缶コーヒーを買った。急に朝日が見たくなって見える場所へただ歩いた。夜が更けていく。缶コーヒーは緩くなって、死体みたいに冷たくなった。学生や早起きの老人たちが起き始める。自転車に乗って駅まで向かい、家の庭を掃除をし始め、街が活気を取り戻していく。

小学生の頃に通学路だった歩道橋の上から朝日をよく眺めていた。遠くの河川が朝日に照らされ、光の反射で白い魚が大量に泳いでいるように見えた。この街の朝は眩しくて、綺麗だけど誰もぼーっと眺めて感心に浸ったりしない。当たり前を感動するには一度失わないと気付かない。それに気付いているのは自分だけなのだろうか。そう思うと、少しだけこの街の誰かに勝ったような幸福感が湧いて家路に向かう。

家に着いてベットの中に入ると、缶コーヒーとは違う暖かさや歩き疲れた疲労感で良く眠る事が出来た。僕の部屋は黒いカーテンで締め切っていて夜のままだった。



このままこの部屋も、この街も、家族も僕も消えて夜に溶けてしまえば良いのに。居場所なんて無くていい、全てを包んでくれる安心感でただ石のように眠りたい。








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