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自分には問題ないです!その考え方自体が実は問題

昨日(2月6日)、noteでサーカスのゾウのたとえ話をしたところ、

■わっかりやすい!と言ってくれたひと(たくさんのシェアありがとうございます)=Aさんチームと命名

■これ、俺のことや!と言うひと=Bさんチームと命名

二通りの反応がありました。

…そもそも、社会が作った罠にどっぷりとハマっているひとは

■「なんのこっちゃ」と理解できずにスルーしてるでしょう(-_-;)=Cさんチームと命名

詳しくはこちらの記事を。

ホントは、そうしてどっぷりと罠にハマっているCさんチームのひとに

「もしもーし、あなた罠にハマってますよ」と言ってあげたいんですが

悲しいかな、サーカス(仮想空間)でうまくいっているCさんチームのひとは「今の人生に満足してるし、何も問題ないっす」と思ってしまうので、目や耳がパタンと閉じている。(ホント、泣きたいくらいに悲しい)

でもでも!その状態こそが実は問題なんですよと。

そうした、目や耳が閉じているひとって、サーカスという小さな世界の中だけで過ごすうち、めっちゃ器用になってきて

「ゾウくん、今日はトラさんが体調不良なんで、今日のショーではトラやってね」とサーカスの仕切り屋に言われて、「はいはい」と自分を殺してトラを演じる決意をし

勇気をふるって、めいっぱい表現してトラを演じたら、お客さんがたいそう喜んだので、「俺って意外にイケてる」と思う。

「トラを演じて」と言われ「はいはい」と言っておかないと、おまんま食い上げだと思い込み、言われたことやらないと飢え死にするんじゃないかという恐怖が発動して言うこと聞いちゃったり。(思い込みってホント怖い)

ここで「俺はゾウなんだから、トラなんかできねーよ」と言えればいいけど、なんだかそう突っぱねるとムチで打たれそうで、そんな勇気もない。

(トラなんかできねーよ、と本気で突っ張れる人は素晴らしい☆彡)

何なら、仕切り屋もできるんじゃないかと、仕切り屋が忙しそうにしているところに「手伝いましょうか」と言って「そう、助かるわ、頼むね」と言われ自己重要感というヤツが発動して、めいっぱい仕切り屋もやってみる。

そして「あのゾウが仕切り屋をやってる!すごい」ともてはやされ、自分でも結構な出来栄えだったから「俺ってトラにも仕切り屋にもなれる。なんて柔軟性があるんだ。俺の可能性は無限だ」なーんて思ってみたり。

そうやってサーカスの中だけで一生を終える。本当はゾウの一生をかけたBigなDreamを計画してたのに、まんまと罠を仕掛けた奴らの術中にハマってしまい、Big Dreamは夢のままTHE END.

てなことが地球上で繰り広げられているんですよ、実は。自分が哺乳類なのか、爬虫類なのかもわからなくなり、自分を見失っている。そう、経済の罠にハメられている。「働かざる者食うべからず」という恐ろしい呪文にかけられてCさんチームの人たちはずぶずぶと沈んでいくのでした。Ω\ζ°)チーン

でもまだ希望はある。ゾウのたとえを「俺のことだ」と自覚したBさんチーム。昨日の話を読んで「そうか、俺が今までいた世界はサーカスの中だったんだ」と気づいてくれたら、そこから抜け出すことが可能になる。

本人は「今はサーカスの隅で途方に暮れるゾウ」だと言ってますがね。

サーカスは抜け出したけど、はてこれからどうやって生きていけばいいの?あ、サーカスで支給されてた草ではなく、野原の草食べてみるか。

あ、水道の水ではなく、川の水を飲んでみるか?と試している状態。そうやって試してみると、サーカスにいなくても生きてけるって徐々に理解できてくる状態と言いましょうかね。

こうしたBさんチームのひとたちを、日々サポートしてるのがAさんチームのひとたちでして。

Bさんチームには、Aさんチームが言ってることを「何言ってんのこのひと」と思い、「営業かけてくるひと」としか思ってない。これも罠にハメられてるんだよねえ。涙

だって、生まれてこの方サーカスしか知らないんだから、自分がいるサーカスが全てと思っても仕方ないよね。しかも、本当の自分って何?私は誰?という問いに向き合うことすらできない。そんな機会と縁がない。好奇心すら持つことができないくらい汚染されている。

仮に機会があっても野生の免疫がないので、すぐもとの安心できるサーカスへ戻ってしまう。

幸い、このBさんチームの彼は、サーカスを出たけど途方に暮れ、でも戻れないので、こわごわ野草をはんでみたり、川に行ってみて水を飲んでみたりとしている状態です。

このBさんチームのゾウを、ぜひぜひ応援してくださいね。

とにかく、「自分には問題ないです!その考え方自体が実は問題」であることを伝えていくために、引き続き文章をしたためていくAさんチームなのでした。つづく

注釈:Aさん、Bさん、Cさんというチームがお互いに分断しあっているというわけではありません。私も以前はCさんチームの考え方ど真ん中だったので。Cさんとして生きる中で苦しみが生じ、壁にぶち当たってBさんになり今やAさんになったという、私の勝手な比喩表現です。


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