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後悔は感謝に変えられる。

(2022年6月のアメブロ記事をリライト)

あなたには「後悔していること」ありますか?

後悔って後から湧いてくるものだけど、
何もなかったところに湧くわけではなく、

すでに自分の中に選択肢としてあったけど、
それを選ばなかった、
実行しなかったことへの気持ち。

だと思うのです。

もう既に自分の内側にあったのに、
本当はうっすら、

そうしたほうが良いって気づいていたのに

それを無視したから後悔する。

結果に対して、

後から選択肢が湧いてくるわけではなくて。

その時の自分には、
思いつかなかった選択肢も
もちろん後から出てくることだってある。

でも、そういう場合は、
長引かないと思うのです。

もう既に自分の内側に答えはあったのに、
それを無視したことを、
後回しにしたことを、

誰よりも自分がわかっているから。

悔やんでも、悔やみきれないと思うのです。


お気に入りのお花屋さんで花束を。かわいい♡


私は15年前の死産という体験を
長い間、後悔し続けていました。

それは、
「もう産みたくない」
そんな言葉を、最後に放ってしまったからです。

もちろん、心からそう思っていた訳ではありません。
その時の勢いで放った言葉です。

だからこそずっと後悔した。

目の前の相手を困らせる為だけに、
乱暴に言葉を投げつけたことに対してです。

つまらないプライドの為に、
自分の本心を素直に表現できなかったことに対してです。

本当に本当に大切にしたいものが何かを
見失った自分の愚かさに対してです。

ふさわしいのはそのひと言ではない。
と分かっていたのに。

勢いだけで放った、

そのたったひと言に対して
ずっと後悔していました。

2日前の検診では「順調ですよ」と言われていたのに
私がその心ないひとことを放った次の日、
赤ちゃんは動かなくなりました。

これはもちろん

ただの偶然かもしれません。


でももし、最期だとわかっていたら
絶対に口にすることはなかったそのひと言を
勢いで発してしまったのは

当たり前に今日と同じ明日が来ることを
信じていたからです。

疑いようもなく。


自分でお花を買うの、まだちょっとドキドキする





今日はその子の命日で、
お墓参りに行きました。

仏様の前で手を合わせると、
自然と涙が、
とどまることなく溢れてきます。

以前は涙と共に
「ごめんなさい」という気持ちがいっぱいで
辛く苦しいものでしたが

今は、溢れる涙は変わらなくても
ただ静かに、溢れるままに過ごしていると

涙が落ち着いたころに
とても穏やかな安心感に包まれるのを感じるのです。

どんなに私が自分を責めようとも
どんなに情けなかろうとも

もうすでに、いつでも

「許されている」


そう思えるようになったからかもしれません。

15年前も眩しいくらいの青空だった



何か悲しい出来事に出会った時、
それを無理やりポジティブに捉えようとする必要も
何か意味があるはずだ。
と無理に考える必要もない。

と私は思っています。

その悲しみを、まっすぐ受け止めた時、
必然的に、器は広がるものですし

その後に、
いくらでも、いつからでも
よりよい未来に向かう事は出来るからです。

無理に立ち上がろうとしなくても
前に進もうとしなくても

その時は、必ず来る。

下がりっぱなしも
上がりっぱなしも
この世界には存在しないのだから。


15年前のこの出来事は、
私に命の尊さ、
そして儚さを教えてくれました。

産まれてきたこと
生きていること

それだけで

本当はすごい奇跡なんだと。

身をもって知った瞬間でした。


でもまた、
すぐに忘れてしまうから。

だから手を合わせるのだと思うのです。

教えてくれた尊い命に
それを感じている私の命に

静かに手を合わせ
向き合った時、重なった時

心が震えて、
涙が止まらなくなるのだと思います。

何か良いこと、
奇跡が起きますようにと
願うことも素敵だけれど、

今この瞬間の
今目の前の
既にある奇跡をちゃんと見ていこう。

受け取っていこう。

そう改めて約束した1日でした。

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