最後に背中を押してくれるものは・・・
(2022年6月のアメブロ記事を転記)
もう、これでいいことにして、
さっさとこの私のままで堂々と生きていこう。
自分を丸ごと存在させていこう。
表現していこう。
自分と向き合うたびに
何度もそう心を決めて来たけれど、
今まで必死に心を隠すように生きてきた私には
それはとても
勇気のいることでした。
実はこのKindle本を出す時も
▶︎お母さんあなたを好きになれなくてごめんなさい
本を「書くこと」はすぐにできたのだけれど
それを発表するまでには、
ずいぶんな時間が必要でした。
それはなぜか?
………
………
………
「受け入れられないことがこわかった」から。
頭で考えている理由はもっと別の事だったけれど
いきなり本だしても意味ないでしょう、とか
そのレベルじゃ恥ずかしいって、とか
誰もおまえに興味ないって、とか
ほかにやることあるでしょう、とか
ごちゃごちゃ言いたくなるのは
やっぱり、こわいからじゃんね。
そして、
それをやらなかったからと言って
何か困る訳でもない。
しかし、
困るわけではないけれど
確実に、心は迷子になっていく。
そう思うのです。
息子とソファーにすわっていたある日、
YouTubeを見ていた息子が
「俺も一回、何か撮ってみようかな~」
って言ったの。
「でも、再生回数0だったら悲しいね~」って。
その時、私も、
「実はkindle出版しようと思ってるんだけど。誰も見てくれなかったら悲しいね~」
何気なく口に出してみた。
そしたら、
「え?すごいじゃん。俺が見るからゼロはないよね!」って。
「だって、ママだって俺がYouTubeやったら見るでしょ?」
「俺だって一緒だよ。応援するに決まってる。」
さら~っと、そう言ってくれたんです。
もう、
「ジーーーーーーーーーン」ですよ。
この一言が、私の背中を押してくれたのです。
「怖い」という感情に囚われたまま、
そこだけを見て視野が狭くなっている時は
周りにある優しさや、
あたたかさに
気づくことが出来ません。
でもそれらは「ない」のではなく
「見えていない」だけ。
実際に、エイッと踏みだしたら
応援してくれる人たちはちゃんと居た。
何かを始めようとするとき
最初は、ひとりきりで心細く感じたとしても
それでも、
「やってみたいな~」という
気持ちが湧いたなら
ひとりでもやる。
そう決めると、ひとりじゃないことに気づく。
それをとても実感しています。
▶︎息子に背中を押してもらったのはこれ↓
▶︎親バカっぷり炸裂のマガジン
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