自己紹介と生い立ち


私は両親が結婚して約10年目に授かったこどもです。
それまでに何度も母は妊娠しましたが流産の繰り返しで、私も危なかったと聞いています。

文字通り、私は待望のこどもでした。両親にとってみても、祖父母にとっても同じ事がいえたのでしょう。

これでもかという愛情を注いでもらった分かりやすい証があります。

それは…、

【大量の写真】
当時、カメラで撮ったら現像に出すしかなく、失敗しても取り直しのできない時代でよくこんなに沢山の写真を撮って保存してくれたんだなと感謝です。祖母の背中で寝ている写真が沢山。後から母に聞くと、祖母は私が寝るまで、そして寝てからも計3時間位は同じ姿勢で過ごしていたとか。
大人になり自分の息子で同じ事をしようと思ったら腰と肩が悲鳴をあげて無理でした。

【ビデオ】
ビデオも沢山あります。祖母と手遊びしているものから旅行中のものまで、誕生日なんて我が息子より豪華かもしれません。
誕生日は家族みんなの幸せな顔と声、雰囲気が伝わりますがビデオを回している祖父のニコニコ顔は私も頭の中にあります。

【カセットテープ】
なぜか、祖父はカセットテープで声を録音いていました。内容は祖父の作詞作曲の子守唄を歌ってもらいながら寝落ちするまでの間のものや、カラオケのようなものがあったり、声を聞いているだけで祖父母も私も楽しそうです。
なぜか怖い話をされて泣いている音声もありますが・・・

【一緒に話した事・時間・空間】
私は6人家族で祖父母、両親、弟と6人で一つ屋根の下に住んでいました。夕飯が終わり祖父の膝の上に座り、8時になるとお酒の途中でも祖父母が私を寝かしつけて弟は母が寝かせるのが当たり前でした。
寒い日は祖父が足までギューっと抱きしめて暖めてくれ寝るまで側にいてくれ、暑い日は祖母が手遊びをしたり昔話をして寝かせてくれました。
両親と寝ることがほとんどなかったですが、毎週土曜日の夜にレンタルビデオ屋さんに行くのが恒例でした。でも寝るのは祖父母と一緒です。
両親に私が祖父母と寝るのは嫌じゃなかったのか尋ねたたら「あんな嬉しそうな顔みたら何も言えへん。それに有難かった」と言っていました。

今、親になっって理解できることが沢山あります。

これから、少しづつ私の思い出話をnoteに綴れたらと思っています。