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2024/03/31

俺は今迷っている。
現在26歳、妻がいる、子供はいない。
年収300万程度、SESという派遣社員の社員版のようなことをしている。
業務内容はテスターがメイン、たまにコードを書く。

結婚しているならいいじゃないと思うかもしれんが、
俺には責任が伴ってしまっている。
後戻りや挑戦はできない。

俺はちゃんと自分の満足のいく仕事がしたい。
誰かの役に立ちたいし、十分なお金も欲しい。
そうだな、役に立ちたい。

書きながら気づいた。俺は役に立ちたいんだ。
俺は社会の役に立てる仕事がしたい。
お金も大事だがまずそこだ。

社会の役に立ちたいっていうのは別に大それたことを言っているんじゃない。政治になったりNPOとかで働けばわかりやすく社会の役に立てるかもしれないが、社会というのはそれを見えないところで支えている大量の人からなる。それは人間の生活に必要なすべてのもの。
電気水道ガスなどのインフラから好きなゲームや小説、あなたの周りの人を飲みに誘うことも社会貢献だ。

社会というのはそういった互いの協力関係によって構築されている。自分がやりがいがあると思っている仕事のおかげで誰かの命が救われ、自分が楽しみにしていた飲み会で誰かの心が救われたりする。

本屋さんの自己啓発のコーナーに行くと「幸せになる方法」のような書籍がたくさんある。そのような本の内容はだいたい「楽にお金を稼ぐ方法」とか「好きな人を振り向かせる方法」みたいな内容が多い。

俺はなんだかそのニュアンスの「幸せ」が嘘くさく感じる。
自分に関する欲望をかなえて得られる「幸せ」。
激務で寝る時間もままならない看護師は「幸せ」にはなれないんだろうか。
詐欺のような広告で人をだまして人材管理をするリクルートの社員になれば「幸せ」になれるのか。
容姿端麗ではない「幸せ」にはなれないんだろうか。

こんなことを言っても仕方がないが、世界の資本主義システムは壊れている。必要な仕事をしている人たちは低賃金で、悪いことをしている人たちの方が高賃金だ。ただ、だからといって看護師を辞めてリクルートに入社してはいけないし、農業をやめて広告会社に入ってもいけない。

ほんとうに社会を支ええている人たちが持ち場を離れてしまっては、社会は壊れてしまう。

もし「幸せ」なるものが存在するのであればそれは社会への貢献度と比例して享受できるものでなければならないと思う。
俺たち人間は「社会」を作る生き物だ。
その役割の中で生きないといけない。
そうしないと人間自体が滅亡する。社会を支える一歯車となってこそ人間なんじゃないかな。

話がずれたかな、何の話してたっけ、まあいいや。
とにかく役に立たない仕事でかせぐのは俺の中では正しくないしやりたくないってこと。

後プラスでは、人の役に立つ仕事でも給料をもらえていても能力的に役に立てていなかったり、仕事ができなかったら意味がない。
はいー飽きてきたのでこれで終わり。

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