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人生が大きく変わった脳転移

2022年6月、多発性脳転移が発覚し緊急入院した。

予兆はほぼなかった。

ただ、年明けから腫瘍マーカーが少しずつ上がっていくことが気がかりだった。

5月末に胸部のCTとMRIを撮ったが、画像上は悪化なし。
しかし、腫瘍マーカーは少しずつ上がっていく。

後、1ヶ月程様子を見て、薬を変えるかという話になった。

この時、明らかな自覚症状もなかったので、主治医も脳のMRIを撮ることはせず、私は漠然とした不安を抱えたままだった。

6月初旬、私は頭痛と食欲不振がありつつも仕事をしていた。

1週間ほど頭痛や食欲不振が続き、ある疑いを覚えた。

…脳転移なのか?病院行ったほうがいいのか(予約は7月)

そうして、突然の嘔吐。

これはダメかもしれないと思いつつも、意識はあったので
その日はなんとか日常をこなし、翌朝緊急受診。

脳MRIを撮り、多発性脳転移が発覚、そのまま緊急入院。

そして入院当日から放射線治療開始(全脳照射)となった。

私は意識自体はあったので、医師から『急変した時に蘇生を希望しますか』と、問われた。

答えは『No』。

即答だった。夫もそばにいたが、私の意見に反対はしなかった。

私の脳の状態は危険な状態で、治療中に腫瘍が破裂し脳死するリスクもあった。

私は医療職でいろいろな家族をみてきた。

みてきたゆえもあり、蘇生は拒否した。

蘇生を希望することに反対はしない。

それぞれ考え方が違うのだ。

私はそれを望まなかっただけ。

幸い治療が奏功し、16日間の入院後、無事自宅退院することができた。

当時3歳だった娘と2週間以上離れたことははじめてであった。

病院まで迎えに来た娘は少し大きくなったようで
再会して二人で抱き合って泣いた。

当たり前のように一緒にいた母親がいなくなることは、幼い娘にとって
どれだけストレスだったか計り知れない。

そして、夫。突然妻がいなくなり、勤務スタイルを変え
家を守ってくれた。

コロナ渦ということもあり、入院中は家族に会えなかったが
娘も夫も、そして私自身も大きく変わった入院期間。

平和に過ごす日常が決して当たり前でないことを思い知った入院期間。

私は後どれくらい生きれるのか。

それは誰にもわからない。

病気でなくて、事故や災害で死ぬかもしれない。

でも、できれば最期は穏やかに、眠るように旅立つことを
望むくらいはいいのではないかと、勝手に思っている。




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