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あいだをみてみる。

あたらしいものふるいもの。
その定義はあいまいでいつも、そのあいだの今をみんな生きている。

風土に根付く、伝統、歴史、食文化を掘り下げたいと思うようになったのは、それらが日本の、各地域の資源であり、人々の暮らしやその人自身の人生への愛着を、豊かさを、生むものであるのではないか?と感じていたからです。
人々がより移動し、交流する時代に伝統や歴史に執着することは時代に逆らっているような気もするけれど、それぞれの風土や食文化をすっっかり置き去りにしてしまえば、移動し、交流することも味気ないものになってしまうような気がするのです。
(私自身、旅が好きなのと、日本的でないものをつくって遊ばせてもらっているので、、、)

新しく産まれていくものに、時代の流れに淘汰されるものも、もちろんある。
そうやって営まれてきたのだと、40代を前にして見えてきた風景。
それでいいとも言えるし、もったいないという感覚もある。
ひとつ言えるのは、今、間、であること。


ミックスして産まれていく新しい文化も地方には間違いなく必要だと思う。ただそこに根付いているものの上に繋ぐものでなければ空虚なものになってしまうような気がしている。
歴史と文化は、人の想いの上で育まれていたものだ。
ほんの少しでも、この素晴らしいものを残したいという願いがあれば、また人の思いは繋がって大切に残される歴史と文化になっていく。新しく産まれていくものもある。(日本酒の価値が見直されながらもワイナリーやブリュワリーーが、人々の願いと楽しさ喜びと共に日本全国に広がって新し風景や文化を耕しているように)

日本全国に展開し、風土を切り出し、みんなの目に見える形にして発信している某大手ホテルに勤務していた経験もその確信を深めている。違いが違いのままで居られるのは、時に根気が必要だが、豊かなことだ。震災後、故郷のいわきを眺めたときにそんなことをずっと考えてきた。
その土地に誠実に寄り添い、それを求めて訪れる人が増えれば、それが生きる糧になる。

古事記に記されている壱岐という島はそれだけで歴史の重さを感じる。
島内で展開される視点から、九州の離島としての壱岐、日本の離島としての壱岐、世界の中の壱岐、視点をどんどんと外へ逃して、眺めて見たときにそれは唯一無二の価値になりうる。
(他のどんな場所でもそうだと言えます)
なにかを生み出すというよりは、ぼんやりとその本質を改めて眺める。
いろんな文化を行ったり来たりして好き勝手生み出している私は、日本文化を簡単なことでは揺るがない歴史と文化で繋ぎ、体現し続けている場所はできれば、活き活きとしてのこっていて欲しいと身勝手ながら思う。

それが壱岐のなかでのひとつが純度が高い、平山旅館さんだ。

そんなわけで、ご縁が繋がり、
そんなわけで、平山敏一郎氏を訪ねてみたのでした。

竹切り中。


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