2020/02/10(月)【日記】調子が悪い時は「金ヶ崎の退き口」のエピソードをいつも思い出す。
体調ダメ、メンタルもダメ。なにもかも寒いのが悪い。
ダメなりに今日の分の記事を途中まで書いたのだが、本当にダメで迷走が止まらないのでお蔵入りにした。
こういう時はさっさと撤退するしかない。三十六計逃げるに如かず。
* * *
逃げるといえば「金ヶ崎の退き口」のエピソードが好きだ。
織田信長、豊臣(羽柴)秀吉、徳川家康、明智光秀が一堂に会して敗走するという有名な逸話なので、大河ドラマ「麒麟がくる」でもたぶん出てくるはず。
ざっくりまとめると、以下のような話となる。
将軍足利義昭を奉じて上洛した織田信長に対し、若狭・越前(福井県)の名門大名・朝倉義景はその指示に従わぬ姿勢を見せる。これに対し織田・徳川連合軍は朝倉家を討つため若狭に侵攻。しかし、織田と姻戚・友好関係にあったはずの北近江(滋賀県)の新興大名・浅井長政が織田・徳川軍を背後から攻撃。浅井家と朝倉家は数代前より従属に近い同盟関係を結んでおり、浅井家は織田家より朝倉家との関係を選んだのだ。かくして織田・徳川軍は朝倉・浅井から挟撃殲滅されかねないという危機に陥るが、信長はいち早く撤退し脱出に成功。その際、殿(しんがり)として全軍の最後尾で守りを務めたのが羽柴秀吉であった(なお、光秀と家康もそれぞれの持ち場で戦っていた)。
のちに文字通り命のやりとりをすることになる秀吉、光秀、家康がそれぞれの立場で死力を尽くし、人生最大のピンチとともに切り抜けるというエモ度が高い話であるが、個人的なお気に入りポイントはそこではない。
「やべえ!」と思ったその瞬間に物資も部下も同盟相手もなにもかも投げ捨てて速攻で逃げ出した信長の決断力とスピード。これこそ、心の底からあやかりたい。何年も何年も前からそう思っている。
ぼくはとにかく鈍くさくて、決断と行動にやたらと時間がかかってしまう。ああでもないこうでもないとうだうだする時間ばかりが長く、いざやってみたら一瞬で終わって鼻白んだりすることも一度や二度ではない。
最近こそ「これはいつもの『うだうだ失敗パターンだな』」と途中で気づいてエイヤと脱することができるようになってきたのだが、まだまだ「ダメだなあ」と思うことの方が多い。
だからこそ「ダメならもう、物怖じせず、恥も外聞もなく逃げる。さっさとやめる。いますぐやめる」というこの逸話に対し、憧れにも似た思いを抱き続けているのだ。
そう、この逸話に描かれた織田信長と同じことができれば、どうとでも挽回できる。どうとでもなるのだ。少なくとも……死にはしない。裸一貫にはなるかもしれんが。
いや、そんな呑気な話ではない。逆に言えば、このとき、この行動を採れなかったなら信長はここで死んでいたのだ。
信長だけではない。秀吉も家康も光秀もここで死んでいただろう。つまり、ここで信長が「全部捨てて今すぐ逃げる!」という決断ができなかったら、歴史がまるっきり変わっていたのだ……。
* * *
というわけで、今日は「ダメなので逃げる」という思いを込めて文章を書いたのだが、やっぱりどうにも物怖じしてしまって、手間も時間もそれなりにかかってしまった。
「今日はダメなのでおやすみです」
とだけ書いて投稿してしまってもよかったのにね。
あーあ、まだまだ信長にはなれそうにないなあ(なれるものなのか? それは?)。
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