アートの三位一体=エネルギーで繋がるアート

ArtoMe(アートミー)を主催のTOMMYです☆
アートを通して、ご自身の3感(感情・感覚・感性)の発見しませんか?

アートを見ることは、あくまでも「見る方ご自身が主役」です。
「アート」は、ご自身の3感(感情・感覚・感性)を触発してくれる繋ぐメディウム(Medium=媒体(媒介者的な))だからです。

今回は、アートと見る人との関係性についてもう一歩踏み込んで書いていきます。

アート(ここでは作品のことを指します)は、単なる「モノ」ではなく「コト」を起こす役割があり、何かへ何らかの「コト」が起こしている(または起こす)のです。なぜならば、作品単体では、本来の性質を発揮できないから。

作品と、その作品を生み出したアーティストがいて、そして「見てくれる人」がいて初めて成立するのです。このことは、まさに「アートの三位一体」です。


「アートの三位一体」って何?というと「アート作品」「アーティスト」「見る人」この三者がトライアングルになって成立しています。どれが欠けても真の意味で、完成することはありません。

作品を創り終えたらアーティストの手を離れるからアーティストの役割は終えているという方もいますが、この言葉をそのままで解釈するのならば、私は作品が存在する限りそれは違うと思います。必ず作品の背景にはアーティストの意図や思いがあり、それがなければその作品は形になってはおらず、この世に存在しないからです。

アーティストが完成させ、作品が生みの親であるアーティストの手から離れ他者が作品を見る。アーティストの意図や思いを解説などで知ってからその作品を見たとしても、「見る人」によって作品の受け止め方、解釈の仕方は三者三様です。この解釈だから間違っているとか、こう見るべきであるというのは本来なら無いのです。そういう意味では、アーティストの手を離れればアーティストの役割を終えているかもしれません。多くの作品を「見る人」によって新しいその作品への「物語」が誕生するからです。

アートは、「アート作品」「アーティスト」「見る人」の三者による目に見えない糸のようなエネルギーで繋がっているのです。点を三つ三角形に置いていただいてトライアングルを思い浮かべていただくと分かりやすいと思います。どれが欠けても完成されない三位一体の関係性なのです。

同じ作品でも、見る人の状況によって捉え方が変わってくるのもまた面白い現象でして、人の心象心理が作品を見るということですら反映するものです。長年ある作品を時々で見る機会があったりするのですが、全くその作品に対する3感が変化したりします。その作品やアーティストと自分の関係性が変化していく。だからアートに興味が尽きない理由の一つなのです。

作品は、「見る人」と共に変化したり成長する有機的な存在とも言えます。
作品は、見えるものであっても人はその作品を目に見ることができない3感(感情・感覚・完成)で意識しても無意識であっても常に何かを捉えているからでしょう。アートは、尽きないものとなるのです。

アートは市場経済にも取り込まれています。この要素だけではないのですが、アートやアーティストを批評する評論家やメディアがあります。評論家の論じる言葉は全てではありません。評論家やギャラリー、オークションそして市場がアート作品やアーティストを評価する世界も共存しています。

私は、この市場経済とアートというハード面とも言うべき世界から少し離れてもっとシンプルで、個々人の"ものごと"からアプローチする方法が性あっています。
アートを、身近で分かりやすく何よりも人生をより広げて豊かなものにしてくれる「窓」のようなあるいは自由な「旅」だとも思うからです。「見る人」とアート作品そしてアーティストが繋がって、ご自身の感情・感覚・感性を発見、気づくきっかけになってもらえれば本望だなと思っています。

アートを通して「旅」ができるのもそうですしね。ご自身の感覚や感性を育てていくプロセスにも似ています。
アートの「旅」について次回書こうと思います。


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