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神経がととのうと自炊が楽しくなる話

最近、自炊が楽しい。
知人宅に訪れた際、私も心にゆとりを持った生活をしていきたいなぁと思ったことがきっかけで、それを行動に移している。

といっても、自炊ができるからゆとりがあるのではない。
ゆとりがあるから自炊ができているのだ。

ゆとりを持たせるため色々と試していたが、1番効果的なのは、「いつもの6割位のスピードで動く」。
いつでもどこでもできるし、まるで自分が貴族になったようで、単純な自分にはけっこう合っているなぁと感じる。その気になれば、いつでも貴族になれるんだ・・・!

これだけで、自律神経が整っていく。
すると、今まで億劫だなぁと思っていたことがそんなに苦じゃないなと気づいたり、苦手な場所がそうでもなくなったり、色々な変化が起こっていった。
その1つが自炊である。

もともとはこうだった。
スーパーの惣菜の味の濃さはなぁ…とか、糖質が多いものを食べると眠くなるから損した気分!とか、なんだかんだやっぱグルテンフリーのものを食べちゃうんだよなぁとか、ある意味グルメな自分としては、いつも頭の中に「自炊」という最適解が、浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
けれども、鍋を出すだとか、調味料をはかるだとか、飛び跳ねた油を後から掃除するだとか、微妙に余ったお肉を冷凍するのかー…とか、そんなことを想像してはスーパーや飲食店に足が向く日々だった。インスタント味噌汁にいたっては、冗談抜きで365日お世話になっているのではないだろうか。

ある日、味噌汁を作ってみようかなぁとふと思い立ち、豆腐と玉ねぎとワカメだけのシンプルな味噌汁を作って食べた。覚えていないほど久しぶりに作ったのだが、これがおいしい。そりゃそうだ。自分好みの味付けなのだから。
おいしいなぁと思えばもっと作ってもいいし…他のものが作りたいなぁと思ったらそのようにしてもいいし…

なんだ。この自由度は。

圧政から解放された市民のような感覚も覚えつつお腹を満たした。
そこから今度はおかずを作るようになったり、文句の1つも言わず余った食材を冷凍したり、細切れにだけどなんだかんだ自炊が続いている。

このたび、「せいろ」デビューを果たした。
鍋に湯を張る。具材を入れたせいろを乗せる。コンロの火を付けて蒸す。
これだけなのだ。

せいろそのものの保管方法には気をつければならないらしい。が、出来上がった蒸し野菜の甘みと、そもそもの調理手順の圧倒的な手軽さ、そして、大量の野菜がわずか5分ほどで胃袋に全て吸い込まれていったことに衝撃を受けた。今度はお肉も蒸してみよう。


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