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「誰かのために」奏でる音楽。『コーダ あいのうた』でロンバケを思い出した

表現者へと変わっていく、ルビーの成長物語

『コーダ あいのうた』、評判に違わず名作だった。

アカデミー賞はじめ数々の受賞歴により、上がりに上がっていたハードルを余裕で超えてきてくれた。

デフカルチャーを疑似体験するような没入感。ちょっとクセがあり、すれ違いもするけどブレない家族愛。などなど、語りたいポイントはいくつもあるが、個人的に心に残ったのは、主人公・ルビーの「歌手(表現者)としての成長ストーリー」の素敵さだった。

音大入学をかけたオーディションの舞台は、この映画のハイライトの1つ。感動シーンとして挙げる人も多いだろう。

ルビーが歌声に手話を交えた場面で、鳥肌が立った。「ああ、ルビーは本当の表現者になったんだ」と感じた。もう少し言語化すると、「届けたい」という想いが歌に乗った瞬間だと感じた。

人が何かを表現する時って、雑念がまとわりつくことが多い。

「クラスメイトに笑われないかな」「どうやったらうまく歌えるかな」「先生に褒めてもらえるかな」「オーディションに合格できるかな」とか、そんな意識で歌う歌は、つまりは矢印が自分に向いている。

対照的なのが、誰かに向かって「届け!」と放たれる歌。

ルビーがオーディションの場面で手話を交えて歌ったのは当然ながら後者だ。2階席の家族を見つけ、彼らに向かって放つ歌、表現。

このステージ、ルビーにとっては、音大入学という自分の夢がかかっているオーディンションなんだが、そんなことはもう忘れてしまっているようにすら見えた。

矢印が自分に向いた表現から、誰かのための表現へ。この作品を「表現者への成長ストーリー」として切り取ると、その姿がとても鮮やかに描かれていて、気持ちがいい。

初めての授業に参加したルビーは、堂々と自分の歌を披露していくクラスメイトを目の当たりにして、逃げ出している。過去に「ろう者のような喋り方」と揶揄われたトラウマ、そんな自分が人前で歌う恥ずかしさ、怖さ。序盤の彼女はそういった感情に支配されていた。

ルビーの才能を信じ、時に自己開示を促しながら"原石"を磨き上げていった先生の存在もすごく印象に残っている。オーディション本番で仕切り直しのための小芝居を演じるスーパーアシストもニクい演出だった。

ドラマ『ロングバケーション』でも描かれた「誰かのため」の音楽

木村拓哉が現在まで続く人気を確固たるものとしたフジテレビの月9ドラマ『ロングバケーション』。

1996年放送で、平均視聴率29.6%、「ロンバケの時間は街からOLが消える」なんて言われていた伝説のドラマである。主題歌はご存知久保田利伸の『LLA・LA・LA LOVE SONG』。

キムタク演じる瀬名は、音楽への夢を持ちつつ、自身の成長に悩むピアニスト。もちろん王道のラブストーリーであり、山口智子演じる葉山南との恋愛模様がメインストーリーだが、瀬名の表現者としての成長譚という見方でも素敵な作品だと思う。

物語の中盤、自分の演奏に悩む瀬名は、恩師の佐々木教授(森本レオ)にこう指摘される。

「瀬名くんは、誰かのために、ピアノを弾くことができたら、変わっていくんじゃないかな」(的な台詞だったと思う。読点多めな森本レオ節が、めちゃくちゃいい味を出している)

そして最終回、ボストン留学がかかったコンクールで瀬名は、客席に座る山口智子を見つけ、初めて「誰かのために」ピアノを演奏する。

かくしてボストン留学の切符を掴むという結末。

上手く歌おう、上手く弾こうとする表現より、「伝えたい」という想いが込められたの方が人を惹きつける。それはマンガ的であるように見えて、実は現実世界でも割と真理だと信じている。

このnoteも、コーダ あいのうたを見てロンバケを思い出した人や、共感してくれる人に届いたら、とっても嬉しい。

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