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日本文化独特のコンセプト「道」とは何か考えてみた

メディアやコンテンツのプロデュースと地域・企業の「メディア化」を支援するトミタプロデュース株式会社の富田剛史です。LIB Labローカル・インディ・ビジネス・ラボ)の主催もしています。

さて、今回のエントリーは「日本文化考」。テーマは「道」です。

何でも「道」化 する日本人。
「どうけ」じゃないよ。笑

お茶もお花も書も武術も何でもかんでも「道」にしてしまう日本人。
昔からの伝統的なものじゃなくても、例えばコーヒーやラーメンなんかも「道」っぽいですよね。
他にはアイドルやヒーロー、アニメなんかもそんな感じですし、部活なども完全に「道」の世界観。その延長にある様々なスポーツ界もやはり「道」のコンセプトが見られます。

「道」とは何か? 優れたもの、極めるもの…といったイメージも湧きますが、極めるのが道なのか?
それであれば、ヨーロッパやアメリカのスポーツマンの方がずっと技を極めている競技もありますが、彼らが「道」と言う感じがしないのはなぜでしょうか。

仕事でも同じでしょう。
昔ながらの経営者には「経営道」とでも言える発想がありますよね。以前に書いた「老舗の経営」などは道そのものです。
サラリーマンと言う働き方もこの国では「道」と言っていいでしょう。「ザ・会社員道」。

礼儀作法の問題でしょうか? 礼に始まり礼に終わるなどと言いますが、確かにテクニックとして個人技を極めているだけではなく、人格的な極みにも達することが求められるイメージはありますよね。
この辺は、外国人が日本文化に憧れる時に強くイメージする価値観のような気もします。

ルーツは武士道でしょう。では、その本質はどんな価値観か?

これらの元は、「武士道」にあるんでしょうね、やっぱり。
武士道」で世界で最も有名な著作は、新渡戸稲造が120年ほど前に書いた、それも原文は英語で発表されている「武士道」という本です。僕は日本語でしか読んだ事はありませんが(笑)、当時英語で発表されたのはもちろん世界にその文化を伝えたいと思ったからです。そして日本人でもあまり読んでないその本が、今も各国で愛読されているというのが面白いところです。

新渡戸稲造の「武士道」についてはまた改めて書くとして、今の私たちに日本人らしいと感じられる習慣や文化はほとんど室町時代あたりに始まり戦国の世を経て江戸時代に熟成していった「武士の世の価値観」だといって良いでしょう。

武士のルーツは農民ですから、そこには農民的な発想や土地にまつわる神様を祀る神官の発想もありますが、いろいろ言い出すとわからなくなるのでとりあえずは「武士の世の価値観」としておきましょう。
ではその本質は一体何なのか?


トミタ的には、その中心にある発想は「先祖代々、子々孫々」ではないかと考えています。
それが武士の世の価値観の真ん中にあるもの。武士だけではなく、農民も商人もあらゆる日本人の真ん中に据えられてきた大事なもの。

「先祖代々、子々孫々」は「血統」だけではありません。
仮に自らの子がいなければ「養子」を「嫡子」にすれば全然構わない。
また、武術や技術などは血縁というよりも、師匠から弟子へバトンが渡ります。
血よりも考え方、つまり価値観やその他諸々の大切なものを受け継いでいく人がいることが大事なんですね。

自分が生きている「いま」は、長い長い時間の中でのごく一部の期間であって、ずっと昔からバトンを受け継ぎ、そのバトンはさらにずっと未来へと渡していく…誰もが中継ぎ選手的な、まるで終わらない駅伝のような発想です。

自分がいる場のずっと後ろからあり
自分の行くその先にもずっと続くのが「道」

そして、この考え方こそが「道」そのものではないかと、トミタは思うのです。

「道」とはどのようなものでしょう?

僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。
と言ったのは高村光太郎ですが、まさに後を振り向けばずっと遠くから続き、そして自ら開拓しながらもっとずっと先まで続くものこそが「道」です。
その道は、自分1人ではなく長い時間の中で次の人にバトン渡す「未来へと続く道」だと言うのが大事なポイントです。

「道」が続くなら、自分個人がどのぐらい早く歩けたか長く歩けたかは大した問題ではない…だからこそ武士は、自らの死で家が続くのなら喜んで命を落とせた。個人で生きていると言うよりも、終わらない駅伝を走っているチームの一員だからです。

武士の切腹を肯定している訳ではありません。とにかくこの、過去から未来に大切なものをつないでいく発想が「道」のコンセプトだと言いたいわけです。
そこが、基本的に個人の人生を大事にする西洋の発想とはかなり異なるところです。どちらが良いという話ではなく…。もちろん西洋にも伝統的な家はあるにせよ、社会全体の認識が異なりますよね。

日本の「道」のコンセプトが見直されそうな今
似ているようで違う「サムライジャパン」的イメージで終わらぬようしたいものです

スポーツにしても芸術にしても、西洋ではその個人を評価し、その人の技術を評価し、個人と個人が競い合うのが基本。
ビジネスにしても、個人能力がベースになりながら個々の企業がいかに短期に業績を上げていくかを中心に戦略戦術が決められていきます。

そしてこの考え方が、「グローバルスタンダード」として狭くなってしまった地球を覆い尽くそうとしたのが一昔前の風潮でした。
それは非常に危険な風で、まるで大きな山火事のように、世界中の希少で多様性に富んだ文化を焼き尽くして行きました。
そこには様々な「きしみ」が生まれ、文明の衝突や貧富差の拡大、地球の気象変動や環境問題の悪化、そして世界中を高速で人が移動することで蔓延するウィルスの猛威など、少し立ち止まって考えなければならないことが次々と人類に突きつけられます。

今こそ世界は、日本の文化のコンセプトである「道」を必要としている気がしますが、多くの人にとってその理解はぼんやりしていますよね。
なんとなく「道」イコール「技の極み」と「精神的高み」などと、現世に生きる人の個人能力にイメージがフォーカスされるのは、今後の世界に必要な本質的なことにならない気がします。うまく言えませんが…

誤解を恐れずに言えば、昨今の世界スポーツでの日本選手の活躍は確かに素晴らしいし、もし彼らがオリンピックで活躍すれば、世界中に日本の「道的なイメージ」のファンが広がりそうな気がしますが、いま生きる「誰か」をヒーロー、ヒロインとして見ているだけでは決して「道」の本質的な良さは伝わらないのではないかと思うわけです。

なんだかうまく言えませんね。
ともかく、西洋的な個人能力の開発、自立性の高さ、数字で合理的に把握し改善していくやり方などは、日本にももちろんますます必要な時代になっていきますが、その一方で日本的な「過去から未来へ大切なものをつなぐ」「現世の自分の命は駅伝の中継選手のようなもの」などの考え方こそ、より世界に伝えていかねばならないものなのではないかと思います。

以上、メディアやコンテンツのプロデュースと地域・企業の「メディア化」を支援するLIB Labローカル・インディ・ビジネス・ラボ)主宰 トミタプロデュース株式会社の富田剛史でした。

最後までお時間いただき、ありがとうございました。
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